聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2021]

2021年 10月 21日 (木)

コリント人への手紙第二4:1-6(2)
真理を明らかにすることで

 新しい契約のしもべとなったパウロは、どんな姿勢で務めを担いましたか。まず、彼は神様のあわれみによってこの務めを受けたことを知っていたので、どんな苦難の中でも落胆しませんでした。パウロは、恥となるような隠し事を捨て、きよい生活をしました。又、偽教師たちのように、羊たちを自分の側に付かせるために騙したりしませんでした。彼はいつも透明で、真実に羊の救いの為に仕えました。彼は神様の御言葉を曲げず真理だけを明らかにしました。霊知主義たちはギリシャ哲学を御言葉に混ぜ、律法主義たちは律法を混ぜて教え、世俗主義たちは世俗の価値観を混ぜて教えました。しかし、パウロはただ十字架の福音だけを単純に教えました。このように真理を明らかにすることで、神様の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。

パウロが福音を宣べ伝えても、受け入れないで滅びの道をそのまま進もうとする人々もいました。それは、滅び行く人々に対して覆いが掛かっているからでした。この世の神、つまりサタンが信じない者たちの思いを暗くし、神様のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしたからです。私たちは、このサタンの働きに対して、祈る必要があります。サタンはあらゆる策略を立てて福音宣教を攻撃してくるので、私たちは神のすべての武具を身に着け、堅くたたなければなりません(エペソ6:11)。

パウロは福音のみを伝え、自分自身を伝えませんでした。彼は只、主なるイエス・キリストだけを宣べ伝えました。又、イエス様の為に、人々のしもべとなりました。しもべというのは、人々が注目するような存在ではありません。パウロは、人々が自分ではなく福音に集中するように、キリストを見ることに集中するようにしました。



適用:御言葉を曲げてはいませんか

一言:ただ真理だけを



2021年 10月 22日 (金)

コリント人への手紙第二4:7-18(7)
この宝を土の器の中に入れています

 7節の「宝」はイエス・キリストの栄光の福音のことです。私たちは福音という宝を土の器の中に入れています。本来、土の器は壊れやすいので、宝を入れるには相応しくありません。それにも関わらず、神様が宝を土の器に入れた理由は、人を救う大きな力は、土の器のような私たちにあるのではなく、神様にあるのだということを告げ知らせるためです。宝を入れた土の器は、多くの苦しみを受けます。四方八方から苦しめられ、途方に暮れ、迫害され倒されます。土の器が壊され、宝を奪われそうになります。しかし、土の器の中にある宝の力によって、パウロは、私たちが行き詰まることはなく、また、滅びることもないと、確信を持って話しています。私たちは、いつもイエス様の死を身に帯びています。それはまた、イエス様のいのちが私たちの身に現れるためです。死が使徒たちの内で働くと、羊たちの内にいのちが働くのです。

 土の器であるパウロは、多くの苦難をどんな姿勢で担いましたか。

第一に、苦難の中でも救って下さる神様を信じました。13節は詩編116:10の御言葉を引用したもので、苦難を受けたダビデの告白です。イエス様をよみがえらせた方が、私たちを多くの艱難の中から、イエス様とともによみがえらせて下さいます。

第二に、落胆しませんでした。私たちの外なる人は多くの苦難によって衰えても、内なる人は日々新たにされています。

第三に、永遠なる望みに目を留めました。私たちの一時の軽い苦難は、それと比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めなければなりません。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。



適用:イエス様の死を背負っていますか

一言:イエス様のいのちが現わされます


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