聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2021]

2021年 10月 25日 (月)

コリント人への手紙第二6:1-13(10)
すべてのものを持っています

 神様は、イエス様を通して私たちを救って下さいました。パウロは主と共に救いの御業を担いました。彼はコリントの聖徒たちに神様の恵みを無駄に受けないように勧めます。恵みを無駄に受けることは、神様かなさったことを「私と無関係のこと」と考えることです。いつか必要になるけれど「今すぐ」ではないと考えることです。これは、大きな思い違いです。神様の御恵みは「今」、「私」のためのものなのです。恵みの日と救いの日が、そう遠くあるわけではありません。今が恵みを受ける日であり、今が救いの日なのです。神様は今、私の祈りを聞いて下さり、今、助けて下さいます。信仰の決断は常に「現在形」です。従う決心を後回しにしてはいけません。今、イエス様を私の救い主として受け入れれば、神様がすぐ救って下さいます。神様の救いは、永遠に「現在形」です。

神様の救いを伝えるパウロの人生は艱難の続きでした。苦難が多いと弱くなり、不信仰や悪に陥りやすいです。しかし、パウロは耐え忍びました。自分の意志で耐えたわけではありません。聖霊と偽りの愛、真理のことばと神様の力により、また、左右の手にある義の武器で戦いました。彼は人々から「悪者」、「だます者」と誹謗を受けました。しかし、委縮しませんでした。なぜなら、自分が誰であるのかよく知っていたからです。福音伝道者は栄光ある者で、その名は美しいのです。死にかけているようでも、生きており、貧しいようでも多くの者を富ませます。何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。福音は罪人を救う神様の能力です。福音はこの世で一番貴いものです。福音を伝えられる人は、この世で一番富んでいる者です。



適用:自分がどれほど富んでいる人であるかを知っていますか

一言:すべてのものを持っています



2021年 10月 26日 (火)

コリント人への手紙第二6:14-7:1(6:14)
不信者と、つり合わないくびきを共にしてはいけません

信者は不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。本来、くびきは多数の牛馬がともに荷を引くように首の上に当てる横木です。不信者とくびきをともにしてはいけないことは、不信者と交わりを完全に絶ち、この世を避けて引きこもるという意味ではありません。結婚或いは共同経営のように、親密に調和してはいけないということです。不信者と一緒になって、彼らと同じく悪を行ってはいけないという意味です。イエス様を信じる私たちは、不信者とは異なる存在です。私たちの身分は「義」、「光」です。義と不法は本質的には一緒になれません。光と闇は友たちにはなれません。私たちはたまに華やかなこの世に心を奪われます。不信者の生き方を羨み、彼らのように生きたがります。しかし、私たちが彼らと、くびきをともにして幸せになれるでしょうか。不信者たちが与えるくびきは重いです。華やかさの裏には空虚があり、快楽の裏には虚無があるだけです。私たちにはイエス様が下さるくびきがあります(マタイ11:29)。イエス様と共にするくびきは私の魂を軽くし、心に平安と憩いを与えて下さいます。イエス様と共にくびきをする人が、一番幸せです。神様の宮は目に見える建物ではありません。イエス様を信じる信者たちが、生きた神様の宮です。神様が私たちの間に住み、また歩きます。私たちと契約を結び、私たちの神様、私たちの父となって下さいます。神様の民、神様の子供は不信のこの世と、区別されなければなりません。区別されるというのは、この世を離れ、山奥に入ることではありません。神様が私たちをきよめるために、イエス様の血を許して下さいました。イエス様の十字架の血潮によって、この世から区別されてきよいものとなったことを自覚して生きましょう。



適用:誰とくびきをともにして行きますか

一言:イエス様とともに


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