聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2021]

2021年 11月 28日 (日)

コリント人への手紙第二8:1-9(7)
恵みのわざにもあふれるようになってください

 マケドニアの諸教会は激しい試練の中にありました。極度の貧しさにありました。それでも喜びに満ちあふれ、飢饉に瀕したエルサレム教会のために惜しみなく献金を施しました。どうしてそんなことができるのでしょうか。それは神様が彼らに恵みを与えてくださったからです。状況が好転し、金持ちになる事が恵みではありません。苦しみの中で喜び、貧しさの中で献金できるのは、神様が恵みを与えられた心があったからです。マケドニアの聖徒たちは力以上に、自分自身を主に献げました。誰かに言われてではなく、自ら進んでしました。彼らが献げたのはお金ではなく、彼ら自身そのものでした。私たちの現実には、常に困難があります。ですから、状況が良くなれば献げよう、と考える生き方で良いのでしょうか。神様の恵みがある人は、困難な状況にあっても、主に献げることができます。神様の恵みとは、試練の中でも喜ぶ力と自由です。神様の恵みがあれば、苦しみの中にあっても美しく、献身する歩みとなります。

 かつて私たちはどれほど貧しい者でしたでしょうか。信仰もなく、望みもなく、愛もなく、たましいはうえ乾き、ボロをまとったようなものでした。イエス様はこのような私たちを富ませるために、天の栄光をお捨てになり、貧しくなられました。イエス様によって、私たちは神の国の相続人となり、天国に住まう富を得ました。パウロは献金を「恵み」と言います。貧しい聖徒たちのために、献金をするのはイエス様の恵みに関わることだからです。コリント教会で始めた献金を成し遂げないといけません。また、惜しみなく施すべきです。信仰にも、ことばにも、知識にも、愛にもあふれているなら、献金もあふれるばかりにするのです。惜しみなく施す者に、イエス様の恵みが豊かにされます。私たちを富む者としようと、貧しくなられたイエス様の愛が、私たちの心に富むことになるのです。



適用:献金もキリストの恵みであることを知っていますか

一言:献金も恵み



2021年 11月 29日 (月)

コリント人への手紙第二8:10-24(14)
そのようにして平等になるのです

 コリント教会の聖徒は一年前からエルサレム教会への救済献金を集めていましたが、まだ終わっていませんでした。パウロはそれをやり遂げなさいと言います。持っているものでやり遂げられます。喜んでする思いがあるなら、応じられるからです。持っていないのに無理にすることではありません。救済献金には「平等になるように」という聖書的な精神が込められています。今彼らのゆとりがエルサレム教会の聖徒たちの不足を補うことは、いずれエルサレム教会の聖徒たちのゆとりが彼らの不足を補うことになります。このように助け合うことで、互いに不足なく平等になるのです。世の中には常に富む者と貧しい者がいます。それぞれ能力が違い、いる場所も、仕事も違うからです。教会の中にも、富んでいる者もいれば、貧しい者もいます。教会と言う共同体の中でも、ある部分はゆとりがあれば、あるところは不足しています。国も、ゆとりがある国もあれば、飢餓に苦しむ国もあります。神様のみこころは何でしょうか。ゆとりのある者が困難な者の不足を補うことです。これが救済です。救済を通して平等になるのが神様のみこころであり、そこに愛が流れます。ですから自分のことだけを考えていてはいけません。他人のことを考えるべきです。わたしのゆとりを不足している人に補ってゆくのです。



適用:救済を実践していますか

一言:平等に


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