聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅱ[2021]

2021年 11月 30日 (火)

コリント人への手紙第二9:1-15(7)
喜んで与える人を愛してくださるのです

 パウロはコリント教会の生徒たちが一年前から救済献金の用意をしてきたことをほめたたえ、他の教会の多くの人を奮い立たせたと言います。しかし、今、献金を渡す時が来たのに、まだろくに準備できていなかったのです。このことでパウロは兄弟たちに頼んで先にそちらに行ってもらい、用意するよう助けました。献金は、あわてて、惜しみながらするのではありません。祝福の贈り物として用意するのです。救済献金を捧げる時、惜しんだり、ケチろうと思ったりしやすいです。メンツが保てる分だけを捧げようともします。しかし、聖書は、わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り取ると言います。献金をわずかだけする人はわずかだけ刈り入れ、豊かにささげる人は豊かに刈り入れます。わずかだけ植える人は、わずかしか刈り取れず、多く植える人は、多くを刈り入れます。ですから、いやいやながら、あるいは強いられてすることではありません。神様は、喜んで与える人を愛してくださいます。そうすることで、神様はあらゆる恵みをあふれるばかりに与えてくださいます。いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。分け与えることは、貧しくなることではありません。神様はその人に与えるものを備え、増やし、義の実を増し加えてくださいます。救済献金はただ聖徒たちの欠乏を満たすだけで終わるのではありません。神への感謝を生み出すのです。コリント教会の聖徒によって献金を受けた人は感謝し、神様にも深く感謝をささげることでしょう。救済献金を豊かにすることは、キリストの福音の告白に対して従順であることを現わすことですから、神様に栄光を返すことにもなります。愛の負債を負ったエルサレム教会の聖徒たちは感謝をして、コリント教会の聖徒たちのために祈ることになるでしょう。コリント教会の聖徒を慕うようになるでしょう。救済献金にはこれほど多くの賜物を結ぶことになるのです。



適用:いやいや強いられて献金をしていますか

一言:喜んで与える者


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