聖書別日ごとの糧   >>   ピリピ[2005]

2005年 07月 10日 (日)

ピリピ人への手紙3:1-11
キリストを得る


Ⅰ.すべてのものを損と思うようになったパウロ(1-9)

 パウロは肉体を愛する者たちに、自分の人間的な背景と律法的な熱心を誇ります(4-6)。しかしそのような全てのものをみな損と思い、ゴミのように捨てました(7)。

 その理由は何でしょうか。キリストを知る知識が最もすばらしいからです(8)。イエス・キリストを知る知識は私たちの自我を発見させてくれます。人生の目的と方向を提示してくれます。私たちを罪から救ってくださり、永遠のいのちに導いてくれます(ヨハ17:3)。パウロがキリストを得ようと全てのものを損と思うことは、ただキリストを信じることだけが神様の義を受けられることだと悟ったからです。

Ⅱ.十字架と復活を知ろうとしたパウロ(10,11)

 信仰によって義と認められたからと言って、イエス様をみな知っているということはできません。パウロは義と認められた後に、イエス様の十字架と復活を見習う生活をしなければならないことを知るようになました。彼は十字架の苦難と復活までも体験しようとしました。

 私たちの信仰生活の目標が何でなければならないのでしょうか。キリストを知り、キリストの死を見習い、復活の栄光に達することでなければなりません。


祈り:主よ!私にキリストを知る最もすばらしい知恵をくださり感謝します。私がキリストの十字架と復活までをも知るようにしてください。

一言:キリストの死を見習い



2005年 07月 11日 (月)

ピリピ人への手紙3:12-21
目標を目指して


Ⅰ.目標を目指して(12-16)

 使徒パウロは、当時最も完成された信仰の域に到達した人です。しかし彼はすでに完全にされたという自慢に陥りませんでした(13,14)。彼はイエス様をもっと知ろうとする熱望の中で、謙遜な心でさらに熱心に信仰の競争をしました。

 競争する者にとって、最も大切なことは目標がはっきりとしているということです。パウロが目標としたのはキリストの中で神様が召された義の栄冠です(Ⅱテモ4:7,8)。彼は後ろにあるものを忘れ、賞をくださる神様を見上げ、走るべき道を走りました。信仰が少し成長したからといって自慢すれば、何の役にも立たなくなってしまいます。どこまで来ても、そのまま走り続けなければなりません(16)。

Ⅱ.十字架の敵に気をつけなさい(17-21)

 ピリピ教会には、当時二元論思想に影響を受けた異端者がいました。彼らは肉体と霊は別個のものだと主張し、肉の快楽に従って生きました。使徒パウロはこのような人々を十字架の敵だと言いました。

 私たちの市民権は天にあります。私たちの望みは私たちの主イエス・キリストの再臨と、私たちの体の栄光となる復活にあるのです(21)。それで積極的に十字架の敵に気をつけるように、涙を流して注意しています。


祈り:主よ!この罪人が霊的な安逸と怠惰によく陥った罪を悔い改めます。使徒パウロのように目標に向かって走るように助けてください。

一言:私の市民権は天にある


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