聖書別日ごとの糧   >>   コロサイ[2005]

2005年 07月 18日 (月)

コロサイ人への手紙3:1-11
上にあるものを求めなさい


Ⅰ.上にあるものを求めなさい(1-4)

 クリスチャンは、復活して神様の右に座を占めておられるキリストを慕い、上にあるものを求めなければなりません。将来栄光のうちに現れるキリストを慕って、待たなければなりません(4)。私たちがこのように上にあるものを考えなければならない理由は、私たちがすでに罪に対して死に、私たちのいのちがキリストと共に神様のうちに隠されているからです(3)。クリスチャンは虫けらのように地にあるものに縛られて生きる者ではなく、日々高い所に向かって進んで行く者です。私たちが御言葉を考え、神様を考え、将来の栄光のうちに現れるキリストを考える時、地上のものに捕われずに、きよく、喜びのある生活をすることができるのです。

Ⅱ.地上にあるからだを殺してしまいなさい(5-11)

 信仰生活は、積極的に上にあるものを探す生活であり、地上に属するからだを殺す生活です。私たちはキリストの中で新しい人を着ましたが、過去に行なった良くない習慣がそのまま残っています。私たちは過去の習慣、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、むさぼりを殺してしまわなければなりません(5)。イエス様の中での生活が恵みであるからといって、このような地上のからだを殺さないままでいると、神様の怒りが下るのです。

 私たちは、昔の人とその行ないを脱ぎ捨てて、神様のかたちを着るためには絶えず霊的な戦いをしなければなりません(10)。その時、罪の欲望に打ち勝ち、栄光に満ちた生活を送るようになるのです。


祈り:主よ!私が新しい人を着た者として、地上のからだを殺し、上のものを求めて、考えるように助けてください。

一言:上のものを求めなさい



2005年 07月 19日 (火)

コロサイ人への手紙3:12-17
キリストの中の新しい生活


Ⅰ.これらすべての上に、愛を着けなさい(12-14)

 クリスチャンは神様の子どもらしく、深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなければなりません。そして誰かが人に対してあやまちを犯したとしても、主が私たちの罪ととがを一方的に赦してくださったように、互いに赦し合わなければなりません。何より、これらすべての上に愛を着けなければなりません。愛こそ、クリスチャンがクリスチャンらしくするための帯です。人が互いに生活してみると、多くの問題が生じますが、その本当の原因は愛が不足していることにあります。愛は多くの罪をおおいます(Ⅰペテ4:8)。愛は全てのものを完全にしてくれます(14)。

Ⅱ.御言葉が豊かに住むようにしなければなりません(15-17)

 世の中を生きる時、私たちの体には世の心配と悩み、恐れ、不平不満が入ってきやすいものです。しかし私たちはキリストの平和が私たちの心を支配するようにしなければなりません。また感謝する生活をしなければなりません。ところがこれらは私たちの力と意志でできるものではありません。キリストの御言葉が私たちのうちに豊かに住むようにしなければなりません(16)。御言葉が私たちのうちに豊かに住まわれる時、全ての恐れと心配ごとが消え去り、詩と賛美と霊の歌とによって、感謝に溢れる者になることができるのです。

 私たちは、御言葉が豊かでなければならないと知っていますが、学校生活と職場生活で忙しいことを言い訳にして、御言葉に近づくことができないことがよくあります。しかしこれは御言葉がもたらす豊かな生活をよく分かっていないからです。


祈り:主よ!私の心の中が愛で豊かになり、御言葉が豊かに住むように助けてください。御言葉に対する霊的な望みをください。

一言:御言葉が豊かな時、すべてのものが豊かだ



2005年 07月 20日 (水)

コロサイ人への手紙3:18-4:1
クリスチャンの倫理


Ⅰ.夫と妻の関係(3:18,19)

 妻は、夫が少し足りなくても夫を立てて、従わなければなりません。そうすれば家庭に秩序が立てられます。反面、夫は妻を愛して貴く思い、つらく当たってはいけません。家事で苦労する妻の苦しみを理解し、助けて上げなければなりません。このように夫と妻が互いに愛し、互いに尊重しあう時、家庭に平和が造られるのです。

Ⅱ.両親と子の関係(20,21)

 子どもたちが、すべてのことについて、自分の意見を捨てて両親に従うことは、主に喜ばれることです。両親は子どもをおこらせてはいけません。そのようにすれば、子どもが反発して心を曲げたり、気落ちするようになってしまいます。子どもたちは、親の所有ではなく、神様に属する人格を持った存在なので、人格的に接しなければなりません。

Ⅲ.主人としもべの関係(22-4:1)

 しもべには奴隷精神があって、人が見ているところでは熱心に働きますが、見ていなければ適当にうわべだけでしてしまいがちです。しかしクリスチャンはどんなことをする時にも、主に対してするように、心からしなければなりません。

 また上司は権威があるからと言って、部下に不義を行なってはいけません。神様を恐れ、義と公平を施さなければなりません。


祈り:主よ!私が自己中心的だったことを悔い改めます。この地にキリストを中心とした相互倫理が根付くように助けてください。

一言:相互倫理


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