聖書別日ごとの糧   >>   コロサイ[2021]

2021年 02月 25日 (木)

コロサイ人への手紙3:1-11(1)
上にあるものを求めなさい

 使徒パウロは、キリストとともによみがえらされたクリスチャンが求めるべきもの、求めるべきでないものについて語ります。クリスチャンはこの世の中で生活をしますが、神の右の座についておられるキリストを慕い、上にあるものを思いなさいと言います。やがて神の国でキリストの栄光にあずかることを期待しなさいと言います(4)。その理由は、私たちはすでに死んでいて、今のいのちは、キリストとともに神のうちに新しく生きる者となったからです(3)。新しいいのちを頂いたのに、クリスチャンが地にあるものを求めるなら、霊の満足と幸せを満たせず、虚無と悲しみ、心配、不安等により苦しみの人生となります。反対に、上にあるものを求めるなら、心晴れやかに、霊的に生き生きとした、幸せな人生となります。さらに、キリストの再臨の際には、最後の勝利と栄光が臨みます。

 私達は、キリストにあって新しい人を着ましたが、過去の良くない習慣がまだ残っています。上にあるものを求めるなかで、そのような罪なる要素は切り捨てて行かなければいけません。すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺すことです。また、感情的な怒り、憤り、悪意、ののしり、口から出る恥ずべきことばを捨てるべきです。なぜなら、クリスチャンはキリストにあって新しい人を着、新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続けるからです。このように霊的な闘争をする中で、私たちは神様を知る真の知識に至り、成長してゆくのです。



適用:地にあることを思いますか

一言:上にあるものを求めなさい



2021年 02月 26日 (金)

コロサイ人への手紙3:12-17(16)
キリストのことばが、住むようにしなさい

 クリスチャンは神に選ばれた者、愛されている者であり、この世からは区別された聖なる者です。主に愛されているのですから、ほかの人に対しても、寛容な心を持ちましょう。深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着ましょう。ほかの人から害を受けたとしても、主が私たちの罪と咎を赦してくださったように、同じようにするのです。クリスチャンでも罪のない人はいないのですから、信者同士でも争いや摩擦は起こり得ることです。クリスチャンはこのような葛藤を傍観したり、恐れて避けたりせずに、互いに赦しあい、解決するべきです。互いに赦し合うと、心は神の似姿に変えられてゆき、美しい信仰の集まりとなります。そして、これらすべての上に、愛を着けましょう。愛がなくては、すべての良いことは安定せず、長続きしません。愛はすべて良いものの結びの帯として完全です。

 生きてゆく時、世の中の心配事、憂い、恐れ、不平不満が心に襲ってきやすいです。しかし、クリスチャンはキリストの平和が心を支配するようにしていましょう。また、感謝の心を持つ人になりましょう。これらは、私たちの力や意思でできるものではありません。キリストのことばが、わたしたちのうちに豊かに住むようにしなければなりません(16)。キリストのことばが豊かに臨む時、恐れや心配は消え去り、詩と賛美と霊の歌を捧げ、感謝の心を持って神様に向かうようになります。私たちの心はどうでしょうか。世に苦心し、平安を失っているのであれば、みことばを受け入れ、平安を回復するべきではないでしょうか。



適用:私の心の中には何が支配していますか

一言:みことばを豊かに住まわせましょう!



2021年 02月 27日 (土)

コロサイ人への手紙3:18-4:1(18,19)
クリスチャンの人間関係

 夫と妻は対等の立場です。しかし、妻は夫に従うべきです。これは、主を信じるものとして当然のことです。こうすることで家庭の秩序が保たれます。妻が夫に従うことは、夫を助ける存在として妻を創造し、そして夫を家長として立てた主の主権を、認めるときに、成り立ちます。一方、夫は妻を愛し、妻に対して辛く当たってはいけません。夫は、妻が愛されていることを実感できるように表現してゆくのです。妻からの意見を尊重し、妻の苦情を聞き、理解に注力しましょう。妻に愛しているとメッセージを送ったり、プレゼントを贈ったりして、幸せを実感させるべきです。夫と妻が互いに愛し合い、尊敬し合っている家は、幸せです。

 子どもたちは、親の言うことによく聞き従うべきです。すべてのことについて両親に従うことは、両親だけではなく主に喜ばれることになります。一方、親たちは子どもたちを苛立たせてはいけません。その子たちが意欲を失わないようにするためです。子どもは基本、神様の所有であり、ある期間の間だけ親に任せられている存在です。神様が用いられる人として子供たちを育てる手助けを両親はしなければいけません。

 奴隷は、すべてのことについて主人に従うべきです。主人が見ている時だけ熱心に仕事をするようなふりではいけません。主を恐れつつ、真心から従うのです。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いましょう。その時、主から報いとして御国を受け継ぐことになります。反面、不正を行う者は、その代価を支払います。一方、主人は奴隷たちに対して正義と構成を尽くして同等に待遇しなければいけません。主人は、自分たちも天に主人を持つ者だという事実を忘れてはいけません。主がしもべに対して行われるように、主人も、しもべに対して同じようにするべきなのです。



適用:人々に対してどのような態度をとっていますか

一言:愛と従順


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