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2003年 03月 31日 (月)

ルカノ福音書23:44-56
十字架の上で息を引き取られたイエス様

Ⅰ.ほんとうに、この人は正しい人であった(44-49)
イエス様が十字架につけられて後、十二時ごろになると、全地が暗くなりました。そして午後3時には神殿の幕が真二つに裂けました。全地が暗くなったのは、イエス様が私たちの代わりに裁かれていることを見せてくれ、神殿の幕が裂けたのは、イエス様が私たちの代わりに裁かれることによって、神様に出て行く新しい生ける道が設けられたことを示してくれます(ヘブ10:20)。続けてイエス様は大声で、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と言って、息を引き取られました。(46)。イエス様は、ご自分に与えられた全ての神様の御旨を担った後、神様の御手にご自分の未来をゆだねられました。この姿を見守った百人隊長は神様をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった。」と告白しました。イエス様は何の罪もない正しい方でしたが、人類の罪の問題を解決するために十字架につけられ死なれました。
Ⅱ.墓に納められたイエス様(50-56)
 議員であり、りっぱな、正しいアリマタヤのヨセフがピラトのところに行って、イエス様のからだの下げ渡しを願いました。彼はイエス様の体を亜麻布で包み、岩に掘られた新しい墓に納めました(53)。これでイエス様は完全に死なれ、墓に葬られたのです。このイエス様を信じる時、私たちも彼とつながってイエス様と共に死に、葬られるのです(ロマ6:4)。そうして罪深い自分は死んで、自分の中には今キリストが生きておられるのです(ガラ2:20)。

祈り:主よ!何の罪もありませんが、罪人のために十字架で死なれた主に感謝します。私はこれ以上罪の奴隷にはなりません。

一言:ほんとうに、この人は正しい方であった



2003年 04月 01日 (火)

ルカノ福音書24:1-12
ここにはおられません。よみがえられたのです。

Ⅰ.お話になったことを思い出しなさい(1-7)
 安息日の後、初めの日の明け方早く、女たちは準備しておいた香料を持って墓に行きました。彼女たちが墓についた時、すでに石が墓からわきにころがしてありました。墓の中にはイエス様のからだがありませんでした。彼女たちは誰かが死体を盗んで行ったと思い、途方にくれました。その時、まばゆいばかりの衣を着た二人が近くに来て言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(5,6)。死んだ人が生き返ったとは、本当に驚きの知らせでした。ところが二人は女たちに、「イエス様がガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい」と言いました。その時、イエス様は、「人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえる」ことを預言しました。イエス様が預言された御言葉が、その通りに成就しました。イエス様のからだがなくなったのではありません。イエス様はよみがえられたのです。
Ⅱ.空の墓を目撃したペテロ(8-12)
 女たちはイエス様の御言葉を思い出して、復活を信じました。そしてこのすべてのことを十一使徒たちに知らせました。ところが、使徒たちは女たちの言葉を無視してしまいました。しかしペテロは墓の所に走って行って、亜麻布だけが残っているのを発見しました。ところが彼も復活の信仰を持つことができず、不思議に思って家に帰って行きました(12)。弟子たちも信じられないほど、イエス様の復活は信じがたいものです。しかし復活ははっきりとした預言の成就であり、歴史的な事実なのです。

祈り:主よ!主が預言された通りによみがえられたことを信じます。私はこれ以上疑いません。

一言:お話になったことを思い出しなさい



2003年 04月 02日 (水)

ルカノ福音書24:13-35
エマオで会ったよみがえりの主

Ⅰ.エマオに行った二人(13-24)
 イエス様について行った人々の中で、二人がエマオに行きながらいろんな話をしました。その時、よみがえられたイエス様が彼らと同行しましたが、分かりませんでした。イエス様は彼らに話の内容を尋ねると、彼らはエルサレムであったことを話しました。彼らは、ナザレのイエスがイスラエルを政治的に救ってくれることを期待しましたが、すでに十字架につけられて死んで三日もたちました。しかし驚くべき知らせは、ある女が墓に行きましたが、死体を見つけることができず、イエス様がよみがえったという知らせを聞いたことです(23)。また弟子たちのうち二人も空の墓を目撃したのです。しかし彼らはイエス様のよみがえりを確信することができず、帰郷していました。
Ⅱ.聖書を説明されたイエス様(25-36)
 イエス様は、二人を、愚かで、預言者たちの言ったすべてを信じない者だととがめられました(25)。そして旧約聖書でご自分に関する預言が出て来た部分を引用して、詳しく説明してくださいました。エマオに着いて、ある家にとどまり、食物を食べた時、二人はイエス様だと分かりました。その時、イエス様は突然消えてしまいました。イエス様に会った二人は大きく喜び、すぐにエルサレムに戻り、復活の証人になりました。イエス様は二人に復活の信仰を植えるために、時間をかけて聖書を教えてくださいました。私たちも熱心に聖書を学べば、イエス様の復活を確信することができるのです。

祈り:主よ!私が主のよみがえりをよく信じない者です。今聖書を熱心に学び、よみがえりを確実に信じます。

一言:イエス様は聖書の御言葉通りによみがえられた



2003年 04月 03日 (木)

ルカノ福音書24:36-53
あなたがたは、これらのことの証人です。

Ⅰ.肉体でよみがえられたイエス様(36-43)
 多くの弟子たちが集まって、よみがえられたイエス様を目撃したことについて、話をしていた時、イエス様が突然彼らの中に現われました。弟子たちはイエス様の突然の出現によってひどく驚き恐れました。彼らはイエス様の幽霊が出たのだと思いました。イエス様は疑い恐れている弟子たちにご自分の手と足を見せて、直接さわって見るように言われました(39)。また焼いた魚を一切れ、弟子たちの前で食べて見せました。イエス様は幽霊としてではなく、肉体でよみがえられました。
Ⅱ.あなたがたは、これらのことの証人です。(44-53)
 イエス様は、弟子たちに旧約聖書に記録されている全ての預言の御言葉がどのように成就したのかを、詳しく教えてくださいました。聖書には、キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めがあらゆる国の人々に宣べ伝えられることが記録されていました。弟子たちはこれらのことの証人です(48)。弟子たちはイエス様の死とよみがえりを直接目撃し、またその事実が聖書に具体的に預言されていることを確認しました。今彼らは全世界に、熱心に復活の福音を伝えなければなりません。復活の福音を植えられたイエス様は弟子たちに、聖霊のバプテスマを受ける時まで、エルサレムにとどまるように方向をくださり、ベタニヤの前で昇天されました。以後弟子たちは心に喜びと賛美が満ち溢れました。

祈り:主よ!主が聖書に預言された通りによみがえられたことを信じます。私がこの復活の福音を全世界に伝えます。

一言:私はこの全てのことの証人だ



2003年 04月 04日 (金)

コリント人ヘノ手紙第一15:1-11
復活の証人たち

Ⅰ.聖書に従ってよみがえられたイエス様(1-4)
 使徒パウロはコリントの聖徒たちに復活の福音を再び伝えようとしました。もし彼らが復活信仰を固く守るならば、これによって救いを受けるようになります。パウロが伝えた福音の核心は旧約聖書に預言された通りに、キリストが私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、聖書に従って三日目によみがえられたことです(4)。イエス様は十字架で死なれたことで私たちの罪を贖ってくださり、墓からよみがえられたことで罪の罰である死から救ってくださいました。
Ⅱ.復活の証人たち(5-11)
 イエス様の復活が作り話ではないことを証しする数多くの証人たちがいます。よみがえられたイエス様はペテロに現われ、それから十二弟子に、その後五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。彼らの中の大多数の者は生き残っていて、いつでも証人として出て行くことができました。その後、ヤコブに現われ、最後に使徒パウロにも現われました。パウロは無知の熱心によって神様の教会を迫害した人でした。このような彼もよみがえられたイエス様に会うことによって、彼の人生は完全に変えられました。その後彼は復活の証人となり、どんな使徒よりも多く働きました。しかし彼はこの全てのことが神様の恵みによるものであることを告白します。神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者だったパウロの突然の変化はイエス様のよみがえりを確実に証ししてくれます(Ⅰテモ1:13)。

祈り:主よ!復活の証人たちがあまりにも多いです。私は二度と疑いません。

一言:私もよみがえられたイエス様に出会った



2003年 04月 05日 (土)

コリント人ヘノ手紙第一15:12-34
どうして「死者の復活はない」と

「どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。」(12)
Ⅰ.もし死者の復活がないのなら(12-19)
 キリストは死者の中から復活されたと宣べ伝えられていますが、ある人たちは死者の復活を否定しました。これに対してパウロは死者の復活がなければどんな結果を招くのかを一つ一つ説明しました。死者の肉体の復活がなければ、イエス様もよみがえることができません。イエス様が復活しなければ、私たちは実質のないものを証しする偽預言者たちです。それだけではありません。私たちは依然罪の中にいて、キリストにあって眠った者たちは滅んでしまうのです(18)。もし死ぬことで全てのことが終わってしまうのなら、世の人々のうち私たちが一番哀れな者なのです。
Ⅱ.毎日が死の連続です(20-34)
 しかし今やキリストはよみがえられ、眠った者の初穂になりました。アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるのです。よみがえる時には、おのおのその順番があり、イエス様はすべての敵をその足の下に置き、万物を回復されました。イエス様の復活を確信する使徒パウロは人とは違っていました。彼はいつも危険にさらされ、毎日死を覚悟して生きていました(31)。世の中には死ぬことによって全てが終わると信じ、快楽的な生活をしている人が多くいます。しかし私たちはそのような彼らの甘い言葉にだまされてはいけないのです(33)。私たちはよみがえりを確信して、目をさまし、正しい生活を送り、罪をやめなければなりません。

祈り:主よ!私は死者の復活をはっきりと信じます。今から目をさまし、正しい生活を送り、罪をやめます。

一言:私には、毎日が死の連続です。



2003年 04月 06日 (日)

コリント人ヘノ手紙第一15:35-58
主のわざに励みなさい。

Ⅰ.復活の栄光(35-49)
 ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」パウロはこの質問を種にたとえてやさしく説明しています。種は地に落ちて死ねば、新しいいのちが誕生します。このように死者も復活の時、今の姿とは全く違った姿を持つようになるのです。世の中にはいろんな姿のからだがあります。天上のからだもあり、地上の体もあります。太陽と月と星はその栄光が違うのです。死者の復活もこのようです。今の朽ちて、卑しく、弱い肉の体が、将来朽ちず、栄光ある、強い御霊のからだによみがえるようになるのです。最初の人アダムは土に帰りましたが、イエス様は天の御国に行かれました。それでイエス様と一緒になった私たちも天上のからだを持つようになるのです。
Ⅱ.最後の勝利(50-58)
 パウロは最後の日の秘密を話します。終わりのラッパがなる時、聖徒たちは一瞬のうちにからだが変わり、天の国に行くのです。その時私たちの体は朽ちず死なないのです。そうなれば死の勢力が完全に滅びるのです。それで私たちはこの地上で堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励まなければなりません。これは私たちの労苦が、主にあってむだではないからです。

祈り:主よ!最後の勝利をくださったことを感謝します。私がさらに主のわざに励みます。

一言:さらに主のわざに励みなさい



2003年 04月 07日 (月)

歴代誌第二32:9-23
ヒゼキヤを救ってくださった神様

Ⅰ.不信を植えるセナケリブ(9-19)
 アッシリヤの王セナケリブは大軍を従えてラキシュを打ちながら、一方では家来たちをエルサレムに送って、ヒゼキヤと神様を侮辱する言葉をはきました。彼は民たちの心に、果たしてヒゼキヤ王と神様が頼る対象になるのか、と不信と疑いを植えました(10,14)。そして指導者に対する不信を植え、王と民たちを仲間割れさせようとしました(15)。セナケリブの家来たちも、さらに主なる神様とヒゼキヤを批判しました。セナケリブは手紙を書き送って、神様を侮辱し、批判しました(17)。またユダの言葉で大きく声を上げ、民たちを驚かせ苦しめました。このようにサタンは隙さえあれば、不信と疑いと恐れを植えるのです。
Ⅱ.イザヤと一緒に祈るヒゼキヤ(20-23)
 民たちは恐れに捕らわれ、危機が迫って来ました。しかしヒゼキヤは少しもあわてませんでした。彼は神様のしもべイザヤと一緒に天に向かって叫び祈りました。
 その時、どんな驚くべきことが起こりましたか。神様がひとりの御使いを遣わして、アッシリヤの王の全ての勇士と隊長、首長を滅ぼさせました。それでアッシリヤ王は恥じて自分の国に帰って行き、そこで殺されました(21)。神様はヒゼキヤの信仰の通りに、信仰の民のために、自ら戦って、ご自分の民を救ってくださいました。

祈り:主よ!悪い悪魔が神様に対する不信と疑いを植える時、信仰を守ってくださり、自ら戦って、救ってください。

一言:信仰は勝利


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