聖書別日ごとの糧   >>   イザヤ書[2022]

2022年 10月 07日 (金)

イザヤ書44:1-28(3)
潤いのない地に水を注ぎ

 神様は、イスラエルを「わたしのしもべ」(21)と呼んでいます。しかしイスラエルは、恐れて不安になると、偶像を作り、その偶像に仕えようとします。神様は、偶像がむなしいものであることを教えます(9-20)。偶像は、人が鉄や木で細工したものに過ぎません。ある偶像は恐ろしい形相をしていて、力ある者のようにも見えますが、実際には、からだを暖め、パンを焼くためのたきぎでしかありません。そんな偶像を慕っても、何の役にも立ちません。私たちを本当に助けることができるのは、主なる神様だけです(3-5)。主は初めであり、終わりであり、唯一の神様であり、主のほかに神はいません(6-8)。私たちは主のしもべであり、主に仕える使命が与えられています。

 辛く苦しい時、私たちはほかのものを探すのではなく、自分の救い主である主なる神様を仰ぎ見なければなりません。主を仰ぎ見て主を求めることは、人間的には、何の意味もないように見えます。時間の無駄だとさえ感じるかもしれません。そして、自分で動こう、自分で解決しようとします。しかし、静かに聖書を開いて神様のことばを求めるならば、主が与えてくださる平安と救いを体験するようになります。思いもつかなかったような新しい道が開かれます。そして、潤いのない地のようになっていた私たちの人生に、豊かにいのちの水が注がれるようになります。唯一の、まことの神様に出会うようになります。そのような人は、雨の後に成長する青草のように、流れのほとりにある柳の木のように、生命力が豊かになります(4)。



祈り:主よ、神様だけを信頼していなかったことを悔い改めます。私は主のしもべであり、主によって豊かに潤された人生を歩めることを感謝します。

一言:豊かな流れが注がれる


<<(1)    前のページ(39)    40    次のページ(41)    (58)>>

聖書別日ごとの糧