聖書別日ごとの糧   >>   コリント人Ⅰ[2006]

2006年 09月 28日 (木)

Ⅰコリント14:1-25
異言よりは預言を


Ⅰ.それよりも、預言することを望みます(1-12)

 異言は人に話すのではなく、神様に話すことです。また自分の霊で奥義を話すので、誰も理解することができません。それで異言は自分の徳を高めるだけで、教会の徳を高めません(4)。

 一方、預言は啓示された真理をはっきりとした言葉で伝達する説教や聖書勉強を指していますが、全ての人々が理解することができます。それで預言は人々の徳を高め、慰め、激励することができます。それで異言のように意味の分からない言葉を話すことより、神様の御言葉を深く研究し、その意味を悟り、信仰の幼い兄弟たちにたましいの糧を供給するのに力を入れなければなりません。

Ⅱ.教会に徳を立てなさい(13-25)

 異言を語る者は、必ず解き明かすものを立てなければなりません。そうすればその内容を理解し、教会にとって徳になるからです。教会では、異言で一万語話すことより、知性を用いて五つのことばを話したほうがいいのです(19)。全教会が聞き取れないことばで異言を語れば、初めて教会に来た不信者は「気違いだ」と馬鹿にします(23)。しかし教会中が御言葉を教え、また澄み切った精神で話せば、不信者たちが教会に入って罪を悔い改め、主に立ち返ります。それで教会に徳を立てようとし、真理の御言葉の中で、教会が堅く立つようになります。


祈り:主よ!私がおかしな賜物を誇ることより、神様の御言葉を深く悟り、熱心に御言葉を伝えるように助けてください。

一言:一万語の異言より一言の預言を



2006年 09月 29日 (金)

Ⅰコリント14:26-40
秩序ある礼拝


Ⅰ.平和の神様(26-33)

 初代教会では、誰でも異言や預言が臨めば、立ち上がって異言を話し、預言をしました。ある人は賛美をしました。それで敬虔であるはずの礼拝がうるさく、おかしく見えることもありました。キリスト者は全てのことに徳を立てるために行なわなければならず、自分を現すために行なってはいけません(26)。そのためには、一人一人が他人を尊重し、順番を守らなければなりません。異言を話す人は多くの人が一緒にすることより、二人か三人が順番に話し、一人は解き明かしをしなければなりません。預言する者も、二人か三人で話し、一人はそれを吟味しなければなりません(29)。座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は譲らなければなりません(30)。一人一人が自分だけ話そうとすると、教会が騒がしくなります。神様は混乱の神様ではなく、平和の神様です。それで敬虔な礼拝中は、無秩序を招くどんな行動も、慎まなければなりません。

Ⅱ.すべてのことを適切に(34-40)

 女は教会で何か語ってはならず、自分の意見があれば家に帰って、夫に尋ねなければなりません。どんなかたちであれ、不和が起きれば、神様にとって栄光にはなりません。パウロは最終的に教訓を与えています。「それゆえ、わたしの兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。」(39,40)。すべての御霊の賜物は教会の共同体の徳を高めるために、適切に行なわなければなりません。


祈り:主よ!私が教会の徳を高める者になるように助けてください。

一言:教会の徳を高める者


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