聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2004]

2004年 11月 14日 (日)

列王記第二2:1-18
エリシャを訓練させたエリヤ

Ⅰ.歴史教育をさせたエリヤ(1-6)
 神様はエリヤをたつまきに乗せて天に上げようとされました。神様は、神様のために多くの苦労をした彼に、最も大きな賞を与えようとされました。その時、エリヤはエリシャを置いて行こうとしました。しかしエリシャは続けてついて来ました(2)。エリヤは神様の導きによって、ギルガルからベテル、ベテルからエリコ、エリコからヨルダンに行きました。その場所は歴史的に意味がある所でした。ベテルは神様がヤコブに現われた所です。エリコはイスラエルが神様の御言葉に聞き従って城壁を回った時、神様が自らその城壁を崩された所です。ヨルダンはイスラエルが第一歩を踏み入れた時、川の水がせき止められた所です。エリヤはエリシャに歴史の中で働いておられる神様を教え、歴史の教育をしました。
Ⅱ.最後までついて言ったエリシャ(7-18)
 エリヤは昇天を目の前にして、エリシャに何か求めるように言いました。エリシャはエリヤの霊の二つの分け前を求めました。彼は神様の御業を行なうためには何が必要なのかをよく知っていました。人間的な能力ではなく霊が必要であることを知っていました。それで彼は神様の力を大きく受け入れようとしました。彼は霊的な望みが大きかったのです。彼は神様と民のために偉大なことがしたいと思っていました。彼がエリヤの霊の二つの分け前を得ようとするなら、最後まで師匠であるエリヤについて行って見なければなりませんでした(10)。彼は聞き従うことで、それほどまでに望んでいた霊の二つの分け前を得て、
水を打つと、水が両側に分かれました。

祈り:主よ!神様のために偉大なことをしようとする望みをくださり、霊の二つの分け前をください。

一言:最後までついて行くことで、霊の二つの分け前を



2004年 11月 15日 (月)

列王記第二2:19-3:20
列王記第二2:19-22,3:15-20

「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。』」(21)
Ⅰ.悪い水のいやし(2:19-22)
 エリコの人々は水のために患難を受けていました。その町は美しいものの、水があまりよくなく、穀物も果物もよく熟さず、途中で落ちてしまいました。その町の人々はこの問題をエリシャに告げました。それでエリヤは塩を持って、水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言いました。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」(21)するとその水がエリシャの言葉通りにいやされて、植物が実を結びました。主の御言葉を信じて挑戦する時、病んだ内面が癒され、いのちの実を結びます。
Ⅱ.荒野で水を出しました(3:15-20)
 イスラエルの王アハブが死んだ後、モアブがイスラエルを裏切りました。それでイスラエルの王ヨラムはユダの王ヨシャパテと同盟を結び、モアブに対抗して戦争を起こしました。ところが同盟国がエドムの荒野に行きましたが、わずか七日で水が底をつきました。その時王たちはエリシャを呼んで助けを求めました。エリヤはまず立琴をひく者を連れて来させ、演奏させました。その時神様の手がエリシャの上にくださり、神様の御言葉が臨みました。「この谷にみぞを掘れ。みぞを掘れ。」この御言葉通りに次の日の朝、エドムのほうから流れて来た水がその地を満たすようになりました。荒野で水を出すことは主の目には小さなことであり、主はモアブをイスラエルの手に渡すと言われました(18)。

祈り:主よ!私に羊の群れの病んだ内面を治療することができる力ある御言葉をください。

一言:御言葉の力を受け入れよう


<<(1)    前のページ(1)    2    次のページ(3)    (20)>>

聖書別日ごとの糧