聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2004]

2004年 11月 23日 (火)

列王記第二6:1-23
霊的な人エリシャ

Ⅰ.斧の頭までも浮かばせたエリシャ(1-7)
 エリシャによって神様の御業が復興して、預言者の学生たちも多くなりました。すると彼らは住む場所が狭くなり、さらに大きな家を建てるためにヨルダン川に行って材木を切り出しました。一人が木を切っている時に、斧の頭を水の中に落としてしまいました。その斧は借りて来た物でした。その時エリシャは一本の枝を切って水に投げ込むと、斧の頭が浮かびました。鉄でできた斧の頭が浮かぶことは不可能なことです。しかし神様にはできるのです。私たちも自ら木にかかって私たちの罪を担ってくださったイエス様に頼る時、奇跡が起きるのです。失なわれた神様のかたちを見つけ出し、使命を見つけるようになるのです。神様の愛と力を受けるようになるのです。
Ⅱ.アラム王の計画をみな知ったエリシャ(8-23)
 アラム王がイスラエルを打つために作戦を立てると、その作戦はすぐにイスラエルの王の耳に入って来ました。それは、神様のしもべエリシャが霊的な人だったので、王と家来たちが寝室の中で議論していることをみな、聞くことができたからです(12)。
 アラム王がエリシャを捕らえようと多くの軍隊を送りました。これを見た彼の召使は恐れましたが、エリシャは神様の軍隊が自分を包囲しているのを見ました。エリシャは召使の目を開いてくださるように祈りました。それで召使の霊的な目が開かれ、彼の恐れもなくなりました。

祈り:主よ!私の霊的な目を開いてください。それで神様を見て力を得るように助けてください。

一言:霊的な人になろう!



2004年 11月 24日 (水)

列王記第二6:24-7:2
絶望の時のエリシャ

Ⅰ.神様の救いを待つエリシャ(25-33)
 アラムの王ベン・ハダデはサマリヤを攻撃して包囲しました。そのためサマリヤは糧食を調達できなくなると、母親が自分の子どもを殺して食べることまで起こりました。常識的に母親が子どものために自分の体を差し出さなければならないのに、そのような母親の心さえなくなったようです。それだけ人々の心は毒され、残忍になりました。そのような時王の心も弱くなり、神様に不平をもらし、エリシャを捕らえて殺そうとしました。人々は血気と感情の捕虜になってしまいました。そのような時、エリシャは自分の家に静かに座っていました。つらい状況の中でも、彼は揺れ動かされませんでした。彼はすべてのことが神様から来たことを知り、神様の救いを待ちました(32)。
Ⅱ.神様の救いを聞いたエリシャ(7:1,2)
 王は神様を待つことを放棄しましたが、エリシャは神様の御言葉を待ちました。そのような彼に神様の御言葉が臨みました。「あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。」(1)これは、小麦をそれだけ安い価格で買うことができるようになったという御言葉です。しかしある侍従はこの言葉を信じませんでした。彼は神様の御言葉より現実をもっと優先させました。エリシャは目に見える現実より御言葉を信じ、神様を疑ったその侍従の死を話しました。絶望の時に、命の道は神様の御言葉を待って聞いて信じることです。

祈り:主よ!私たちがどんな絶望的な状況に処せられても、神様の御言葉を聞いて、信仰によって望みを持ちます。話してください。

一言:神様の御言葉を聞こう


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