聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2004]

2004年 12月 11日 (土)

列王記第二22:1-7
主の宮を修理したヨシヤ

Ⅰ.主の目にかなうことを行なったヨシヤ(1-2)
 ヨシヤは八歳で王となりました。ヨシヤは彼の父王や先祖たちから悪い影響を受けませんでした。ヨシヤは先祖たちの過ちを通して、むしろ神様の警告の御声を聞き、神様の目にかなうことを行ないました。彼はその先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれない生活をしようと必死でした。ヨシヤの心の奥深いところに神様を恐れ敬う信仰がありました。聖書の著者は、ヨシヤが主の目にかなうことを行なった点を、付け加えています。
Ⅱ.主の宮を修理したヨシヤ(3-7)
 ヨシヤは大祭司に、それまで民たちが献金したお金で主の宮の破損したところを修理するように命じました。一つの国が正しく立ち、強くなって行くためには、まずその民の信仰と精神を正しく立てなければなりません。ヨシヤはイスラエルの民の信仰と精神の中心である主の宮を修理し、霊的な機構として確立しようとしました。
 私たちの心は神様の霊が住む主の宮のようです。私たちの心の中心が世の罪に汚染されていれば、神様の霊がとどまることができません。それで私たちは日々罪を悔い改めることで、私たちの主の宮を正さなければならないのです。日々主の宮の状態を点検し、正しく立てることに人生の優先順位を置かなければなりません。これが霊的な勝利の秘訣なのです。

祈り:主よ!瞬間瞬間主の宮の状態を点検し、主の目にかなうことを行なうように助けてください。

一言:心の宮を新しくしよう



2004年 12月 12日 (日)

列王記第二22:8-20
御言葉の前で泣いたヨシヤ

Ⅰ.衣を裂いたヨシヤ(8-13)
 主の宮を修理している途中で、長い間忘れられて来た律法の書が見つかりました。書記シャファンが王の前で聖書を読みました。ヨシヤ王は律法の御言葉を聞くと、すぐに衣を裂きました。彼が衣を裂いたことは、泣いて悔い改めたことを意味します。彼は聖書の御言葉を通して、自分と自分の民の罪がどれだけ大きいのかを知るようになりました。神様の御言葉は私たちのたましいを映し出す霊的な鏡のようです。私たちは瞬間瞬間に御言葉の鏡の前で、自分の生活を映して見なければならないのです。神様の御言葉を聞いて、悲しみ悔い改める人が本当にさいわいな人です(マタ5:4)。
Ⅱ.ヨシヤ王を救ってくださった神様(14-20)
 悔い改める心と恐れの心でヨシヤは女預言者フルダに人を送りました。どのようにすれば神様の怒りが消えるのか、尋ねました。ところが女預言者フルダは、ユダの罪がすでに度を過ぎたので神様の怒りを到底消すことができない、と言いました。これはユダの激しい偶像崇拝による罪のためでした。しかしヨシヤだけはユダに向けられた神様の恐ろしいさばきを見なくなる、と言いました。これは王が神様の御言葉を聞いて、主の前にへりくださり、衣を裂いて、悔い改めたからでした(19)。神様は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者を喜ばれ、目を留めてくださいます(イザ66:2)。

祈り:主よ!私が神様の御言葉の前で自分を映し出して、いつも悔い改めることに力を入れる者になるように助けてください。

一言:悔い改める者を喜ばれる神様


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