聖書別日ごとの糧   >>   マルコ[2006]

2006年 05月 20日 (土)

マルコの福音書6:1-13
悔い改めの福音を説き広めた弟子たち


Ⅰ.イエス様を排斥した郷里の人々(1-6)

 イエス様は弟子たちとともに郷里に行かれました。安息日に会堂で権威と知恵で教えておられると、郷里の人々は聞いて驚きました。しかしイエス様を人として判断しただけで排斥しました(3)。イエス様は彼らの不信仰のために何一つ力あるわざを行なうことができませんでした。イエス様は郷里で排斥された預言者たちの痛みを考え、彼らの不信仰に驚かれました。イエス様を信じないのは知恵がないからではありません。心の中に潜んでいる傲慢によるものです。

Ⅱ.イエス様の御言葉に聞き従った弟子たち(7-13)

 イエス様は十二弟子を二人ずつ遣わし始め、汚れた霊を追い出す権威をお与えになりました。金銭に頼らず、人間条件に頼らないように言われました(8)。ただ伝道者のプライドと福音の力だけを信じて行くように命じられました(9-11)。

 この命令は本当に聞き従いづらいものでした。しかし弟子たちは人間的に計算せずに、聞き従いました。彼らは福音の力を信じて出て行き、悔い改めの福音を説き広めることに挑戦しました。すると汚れた霊を追い出す権威と病を癒す力が現われました。

 信仰とは従順です。イエス様は聞き従う者に権威を施してくださいます。弟子たちはイエス様の御言葉に聞き従って、福音の力を体験することができました。


祈り:主よ!私が傲慢で、人間的な考えによく陥ります。私を低めてくださり、主の御言葉に絶対的に聞き従い、福音の力を体験させてください。

一言:信じて従順



2006年 05月 21日 (日)

マルコの福音書6:14-29
悪霊に苦しむヘロデ


Ⅰ.悪霊に苦しむヘロデ

 ヘロデがイエス様のうわさを聞いてひどく苦しんでいました。人々はイエス様が成される御霊の御業を見て、エリヤ、あるいは預言者の中の一人だと言いました。しかしヘロデ王は罪悪感に陥り、自分が殺したバプテスマのヨハネがよみがえったのだ、とひどい恐れにとらわれるようになりました(14,16)。

 なぜヘロデ王はこのようになったのでしょうか。彼は淫乱で、ひどい女好きでした(17,18,22)。真理を知っていましたが、実践する力がありませんでした(20)。体面と権威を奮いましたが、不本意にも殺人をするようになりました。

 御言葉を聞いて心配しながらも悔い改めを保留した彼は、さらに大きな罪を犯すようになり、結局は恐ろしい罪悪感と死の恐怖にとらわれるようになったのです。心に隠された罪を悔い改めない者には骨々が疲れ果てる苦痛が伴うようになります(詩32:3,4)。罪がはらんで死を産みます。

Ⅱ.首をはねられたバプテスマのヨハネ

 バプテスマのヨハネは、ヘロデ王が兄弟の妻を奪って同居している不道徳な罪を咎めました(18)。このことでヨハネはヘロデヤの憎しみを買い、投獄され、ついには首をはねられました(27-29)。バプテスマのヨハネは真理のために生き、真理のために死にました。悔い改めずに、悪霊に悩まされる者を悔い改めさせようとして、殉教しました。


祈り:主よ!ヘロデのように生涯悪霊に悩まされるしかない、この罪人を救ってくださり心から感謝します。私が悩まずに勇敢に悔い改める者になります。

一言:悔い改める者が本当に勇敢な者



2006年 05月 22日 (月)

マルコの福音書6:30-44
五千人を食べさせたイエス様


Ⅰ.群衆をあわれまれたイエス様(30-34)

 伝道旅行を終えた後、弟子たちはひどく疲れ果てました(6:7-13)。それでイエス様は今まで食事をする時間さえなく、働いて来た弟子たちにしばらく休める時間をくださいました(31)。イエス様と弟子たちは舟に乗って、寂しい所へ行かれました。ところが人々は湖の周りを歩き、先に到着して待っていました。彼らは本当に身勝手な者たちです。

 しかしイエス様は彼らを深くあわれまれました。彼らが羊飼いのいない羊のようであったからです。この世で最もあわれな者は羊飼いがなく、さまよう人々です。イエス様は彼らの牧者となり、夕方になるまで群衆に神様の御言葉を教えてくださいました。

Ⅱ.あなたがたで、あの人たちに何か食べる者を上げなさい(35-44)

 もう時刻もおそくなり、そこはへんぴな所でした。食べる物がなく、人々はお腹をすかせていました。弟子たちは心配になり、彼らを帰そうと提案しました(36)。しかしイエス様は「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」と命じられました。「あなたがたで」とは指導者としての責任を要求した御言葉であり、「上げなさい」とは群衆に対して牧者の心情を持ちなさいという意味です。イエス様はこのように命じられることで、弟子たちがイエス様の御言葉に絶対的に聞き従う信仰の人になることを願われました。

 弟子たちが聞き従って、今あるものを捜して持って来た時、驚くべき奇跡の御業が起こりました(42,43)。


祈り:主よ!牧者の心情がなく生きて来たことを悔い改めます。私が牧者の心情で、責任を持って羊たちを食べさせます。

一言:あなたがたで



2006年 05月 23日 (火)

マルコの福音書6:45-56
わたしだ。恐れることはない。


Ⅰ.祈るために山に行かれたイエス様(45,46)

 五千人を食べさせた直後、イエス様は弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、ベツサイダに行かせました。イエス様は疲れた中でも、祈るために山に向かって行かれました。多くのことをされた後にも、休まれずに、イエス様は弟子たちと羊たちのために祈りの労働を担われました(46)。

 大きな御業を成し遂げた後に、霊的に怠惰になりがちです。そのような時だからこそ、さらに祈りの労働を担わなければなりません。

Ⅱ.しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。(47-56)

 夕方になって夜になると、向かい風が吹き始めました。弟子たちは苦労して漕ぐようになりました。イエス様は弟子たちを助けようと湖の上を歩いて来られました。恐れにとらわれた弟子たちはイエス様を見て、幽霊だと思い、驚いて叫び声を上げました(49)。しかしイエス様は「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました(50)。

 弟子たちが信仰が弱くなり恐れに陥った理由は何でしょうか。52節をご覧ください。著者は、「彼らはまだパンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからだ。」と言っています。このように私たちも歴史意識がない時、信仰が弱くなります。苦労して櫓をこいで、辛い人生の航海をするしかありません。どんな場合でも、共におられるイエス様を仰ぎ見る時、恐れの波を乗り越えて安心するようになります。一度経験した信仰の体験に基づいて、歴史意識を持つ時、根がある木のように丈夫に成長します。


祈り:主よ!主の大きな力を体験しながらも、よく恐れにとらわれる私に、歴史意識のある信仰をください。

一言:歴史意識を持った信仰


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