□5月2日(木)


私の目を開けてくださったのです


ヨハネの福音書9:8-41(30)

聖書本文

9:8 近所の人たちや、彼が物乞いであったのを前に見ていた人たちが言った。「これは座って物乞いをしていた人ではないか。」
9:9 ある者たちは、「そうだ」と言い、ほかの者たちは「違う。似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。
9:10 そこで、彼らは言った。「では、おまえの目はどのようにして開いたのか。」
9:11 彼は答えた。「イエスという方が泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
9:12 彼らが「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と答えた。
9:13  人々は、前に目の見えなかったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。
9:14 イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。
9:15 こういうわけで再び、パリサイ人たちも、どのようにして見えるようになったのか、彼に尋ねた。彼は、「あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのです」と答えた。
9:16 すると、パリサイ人のうちのある者たちは、「その人は安息日を守らないのだから、神のもとから来た者ではない」と言った。ほかの者たちは「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができるだろうか」と言った。そして、彼らの間に分裂が生じた。
9:17 そこで、彼らは再び、目の見えなかった人に言った。「おまえは、あの人についてどう思うか。あの人に目を開けてもらったのだから。」彼は「あの方は預言者です」と答えた。
9:18  ユダヤ人たちはこの人について、目が見えなかったのに見えるようになったことを信じず、ついには、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、
9:19 尋ねた。「この人は、あなたがたの息子か。盲目で生まれたとあなたがたが言っている者か。そうだとしたら、どうして今は見えるのか。」
9:20 そこで、両親は答えた。「これが私たちの息子で、盲目で生まれたことは知っています。
9:21 しかし、どうして今見えているのかは知りません。だれが息子の目を開けてくれたのかも知りません。本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。」
9:22 彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていた。
9:23 そのために彼の両親は、「もう大人ですから、息子に聞いてください」と言ったのである。
9:24  そこで彼らは、目の見えなかったその人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」
9:25 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか私は知りませんが、一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」
9:26 彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしておまえの目を開けたのか。」
9:27 彼は答えた。「すでに話しましたが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのですか。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」
9:28 彼らは彼をののしって言った。「おまえはあの者の弟子だが、私たちはモーセの弟子だ。
9:29 神がモーセに語られたということを私たちは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らない。」
9:30 その人は彼らに答えた。「これは驚きです。あの方がどこから来られたのか、あなたがたが知らないとは。あの方は私の目を開けてくださったのです。
9:31 私たちは知っています。神は、罪人たちの言うことはお聞きになりませんが、神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、その人の言うことはお聞きくださいます。
9:32 盲目で生まれた者の目を開けた人がいるなどと、昔から聞いたことがありません。
9:33 あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。」
9:34 彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
9:35  イエスは、ユダヤ人たちが彼を外に追い出したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
9:36 その人は答えた。「主よ、私が信じることができるように教えてください。その人はどなたですか。」
9:37 イエスは彼に言われた。「あなたはその人を見ています。あなたと話しているのが、その人です。」
9:38 彼は「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した。
9:39 そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
9:40 パリサイ人の中でイエスとともにいた者たちが、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
9:41 イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、今、『私たちは見える』と言っているのですから、あなたがたの罪は残ります。」

聖書引用:新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会


日毎の糧

 人々は、盲目の物乞いが見えるようになったのを見て、彼のことが分かりませんでした。見えるようになった彼は、「私がその人です。」と証ししました。彼は、過去みじめな盲目の物ごいであったことを認め、イエス様によって見えるようになったことを、具体的に証ししました。 しかし、パリサイ人たちは、イエス様が安息日を破った罪人として扱いました。見えるようになった人にイエス様を罪人として証言するように、脅迫しました。しかし、彼は屈さずに、「一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」彼は一つの事実を堅くつかみ、主の恵みを裏切りませんでした。迫害に打ち勝ち、信仰が成長するようになりました。祝福の後には迫害と試練が与えられることがあります。克服し、信仰が成長する秘訣は、主から受けた一つの恵みを堅くつかむことです。

 パリサイ人たちは、盲目の物乞いが受けた恵みよりも、イエス様が安息日に人を癒したことに注目し、その事実を拒絶しました。しかし目が見えるようになった物乞いは、罪人を受け入れない神様がイエス様を通して働かれたことを悟りました。結局、彼はパリサイ人たちの憎しみを買い、世から捨てられました。しかし、イエス様は彼を見つけ出し、最後まで信仰の中心を守った彼の霊的な目も開くように助けてくださいました。一方で、イエス様とともにいたパリサイ人達は、イエス様に盲目と扱われたことに憤慨しました。イエス様は、自分の状態に満足して霊的に盲目になっていた人たちを拒絶しましたが、霊的に目が開かれた人には霊的な洞察力と理解力を与えられました。



祈り:主よ、恐れることなく頂いた恵みを証しし、どんな時でも主の証人となれるように助けてください。

一言:主から受けた一つの恵みを堅くつかもう

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

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