□5月13日(水)
手幅ほどの人生
詩篇39:1-13 (5,7)
日毎の糧
ダビデは、舌で罪を犯さないために、悪しき者の前では口を慎もうと心に決めました。人を責めたり、争いに巻き込まれたりして、言葉によって自分自身を汚してしまうことを恐れたのです。舌がもたらす影響の大きさをよく知っていたからこそ、必要なら沈黙を選ぼうとしたその姿勢は、深い知恵に満ちています。言葉は時に、どんな武器よりも人を傷つけてしまうからです。
しかし、良いことさえ語らず沈黙を守り続けることは、ダビデにとって苦しいことでもありました。悪に対する憤りや、言いたいことを飲み込むもどかしさが、心の内で燃え上がっていきました。そのときダビデは、神様に、「私の終わり 私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないかを 知ることができるように。」(4b)と祈ります。
人ではなく、自分自身に目を向ける中で、彼は気づかされます。自分の人生は、まるで手幅ほどしかない、あまりにも短いものだということに。若さも、健康も、誇りに思ってきたものさえ、永遠の視点から見れば空しいものに過ぎません。人は短い人生の中で、蓄え、楽しもうと忙しく動き回りますが、その多くは空回りし、虚しさを残します。ダビデは、その虚しさを直視し、目に見える騒がしさや執着を手放して、永遠なるものに心を向けました。この世での栄華や富、成功は、真の望みにはなり得ません。私たちの真の望みは、ただ主ご自身です。主こそが望みであると悟ったダビデは、旅人としてこの世を生きる間、すべての罪から救い出してくださるよう祈ります。主のみを望みとする時、人は目に見える成果ではなく、生き方そのものと心の内を省みながら、聖なるものを待ち望む者へと変えられていくのです。
祈り:主よ、揺るがない望みをおけるのは、ただあなただけであることを悟ります。目に見える成果から視線を上にあげ、主だけを見つめる者に私をしてください。
一言:私の望み、それは主です
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
「日ごとの糧に関するご意見・ご要望、メール配信希望・配信停止については、以下のリンク先よりお問い合わせください。
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