□6月25日(水)
神が今や主ともキリストともされたこのイエス
使徒の働き2:22-36(36)
聖書本文
2:22 イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
2:25 ダビデは、この方について次のように言っています。
『私はいつも、主を前にしています。
主が私の右におられるので、
私は揺るがされることはありません。
2:26 それゆえ、私の心は喜び、
私の舌は喜びにあふれます。
私の身も、望みの中に住まいます。
2:27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、
あなたにある敬虔な者に
滅びをお見せにならないからです。
2:28 あなたは私に、
いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前で、
私を喜びで満たしてくださいます。』
2:29 兄弟たち。父祖ダビデについては、あなたがたに確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日に至るまで私たちの間にあります。
2:30 彼は預言者でしたから、自分の子孫の一人を自分の王座に就かせると、神が誓われたことを知っていました。
2:31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
2:34 ダビデが天に上ったのではありません。彼自身こう言っています。
『主は、私の主に言われた。
あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
2:35 わたしがあなたの敵を
あなたの足台とするまで。』
2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
ペテロはイエス様が誰であるのかを証しします。イエス様はユダヤの間で力あるわざと不思議としるしを行い、神の国を証しされました。しかし、彼らはこのイエス様を十字架につけて殺してしまいました。神様は、このイエス様を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。イエス様が死んだままであることはあり得ないとし、ペテロは詩篇の言葉を引用しています。この詩篇はダビデが書いた詩ですが、自分自身ではなく、復活するメシアについて書かれた預言でもありました。ダビデは自分の子孫の一人を王座につかせると約束された神様を覚えていました。それでダビデは詩篇でのちのことを予見し、キリストの復活について預言したのです。「彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない」ペテロはイエス様のよみがえりの証人です。そして今御霊で満たされているのは、イエス様が約束通り天から聖霊を注いでいるからだと証ししました。
ペテロがイスラエルにはっきりと伝えたのは、神様が今やイエス様を主ともキリストともされたことです。これはダビデの時からの預言でもありました。まだこの時、イエス様が十字架で亡くなったことを覚えている人ばかりでした。その中でよみがえりを証しすることは、真実でなければ受け入れられないタイミングだったでしょう。しかし、ペテロの言葉がユダヤ人に届いたのは、イエス様の十字架の死とよみがえりが真実であり、神様がなされたことだったからです。そして、そのキリストをあなたがたは十字架につけたのだとペテロは言います。ダビデはイエス様を誰か知っていました。しかし、ユダヤ人はイエス様を受け入れもせず、さばき、十字架につけてしまったのです。
祈り:神様が立てられたイエス様を私たちの救い主、キリストとして崇めてゆけるようにお助けください。このキリストをあかしする霊を、私たちにもどうか注いでください。
一言:神のキリスト
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
「日ごとの糧に関するご意見・ご要望、メール配信希望・配信停止については、以下のリンク先よりお問い合わせください。
(お問い合わせページのリンク先)」