□6月20日(主日)


主のからだと血に対して罪を犯すことになります


コリント人への手紙第一11:17-34(27)

日毎の糧

初代教会では聖餐式の時に食事も一緒にしました(使徒2:42,46)。ところが、金持ちの聖徒は、自分たちで食べ物を持ってきて、仲間内だけで先に腹いっぱい食べました。反対に、貧しい聖徒たちはわずかな食べ物を食べるか、まったく食べずに帰る時もありました。このため、聖徒たちの間に派閥が生じました。そこでパウロは、金持ちに向かって、なぜ教会を軽んじて貧しい人たちに恥ずかしい思いをさせるのかと責めました。そもそも聖餐の意味は何でしょうか。なぜイエス様は十字架で死なれたのでしょうか。私たちのすべての罪を背負って、私たちを神様の子どもにしようと十字架で死んでくださいました。これを記念するために、主のパンと杯を飲むのが聖餐式です。主の中では、貧しい者も金持ちも、弱い者も強い者も、学んだ者も無学な者も、みな等しく子供なのです。主の中では一つです。一つになるために主の体と血を食べて飲みながら、互いに低くなって犠牲して仕えるべきです。しかし、コリント教会はこのようにしなかったです。

パウロは、誰でも主のパンや杯をふさわしくない仕方で食べたり飲んだりする者は、主の体と血に罪を犯すことであると強く言っています。ですので、聖餐式をするとき、何に注意すべきですか。まず、自分自身を吟味して、わきまえる必要があります(28,29)。吟味するという言葉は、わきまえるという意味で、自分自身を深く省察するということです。自分が良くやっているから聖餐にあずかれるのではなく、むしろ罪ある者であるからこそ、イエス様がその罪を背負って十字架について下さったことを悟る必要があります。主イエスが自分のために成して下さったことを覚えながらイエス様の肉と血を食べて飲まなければなりません。聖徒たちは、周りを見て弱い者、病人、眠っている者を顧みなければなりません。第二に、互いに待ちあわせる必要があります(33)。空腹の兄弟をまず顧みて、場合によっては、自分は家で食べて来て、集まりが裁かれないよう配慮する必要があります。このような小さな配慮にさえ、主の御心を求めていくことが必要であることが分かります。



適用:主のパンと杯を正しく食べて飲んでいますか

一言:わきまえなさい

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

聖書別日ごとの糧