□3月18日(土)


安息日に律法にかなっていること


ルカの福音書6:1-11(9)

日毎の糧

イエス様が、安息日に弟子とともに麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘んで手でもみながら食べていました。すると、あるパリサイ人たちがこれを見て、安息日にしてはならないことをしたと弟子たちを非難しました。弟子たちの行動のために、イエス様までもが非難を受けました。この時、イエス様はダビテが神様の家に入って祭司だけが食べてよい臨在のパンを取って食べた事件を根拠に、弟子たちを弁護しました。祭司だけが食べられる臨在のパンをダビテが食べても非難されなかったのは、そのことが生命を生かしてあわれみを施す神様の御心にかなっていたからです。パリサイ人たちには、お腹を空かした弟子たちに対するあわれみの心がありませんでした。さらに、安息日の主であるイエス様を知らなかったために安息日の本質も理解していませんでした。

イエス様は別の安息日に、一つの出来事を通じて安息日が何をする日であるかを説明しました。イエス様が安息日に会堂に入られた時、右手の萎えた人がいました。律法学者とパリサイ人たちは、イエス様を訴える口実を見つけるために、イエス様が安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていました。この時、イエス様は安息日に善を行うことと悪を行うこと、いのちを救うことと滅ぼすこと、どちらが正しいかと尋ねました。そして右手の萎えた人に向かって「手を伸ばしなさい」と言われました。その通りにすると、彼の手が元どおりになりました。イエス様は、安息日が単に仕事を休む日ではなく、善を行なっていのちを救う日であることを見せてくださいました。神様は律法条項に縛られて他人を判断し、殺す宗教指導者たちを喜ばれません。他人をかわいそうに思い、善を行っていのちを救うことを望んでおられます。一人を救うことこそ神様が願われることです。イエス様のあわれみを抱いてイエス様のお言葉を伝えるとき、いのちを救うことができます。



祈り:主よ、消極的に主日を守っていたことを悔い改めます。規則や形式にとらわれることなく、積極的に善を行い、困っている人々を助けることができるよう助けてください。

一言:いのちを救うこと

【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。

聖書別日ごとの糧