□6月10日(月)
ああ、この都が
哀歌1:1-22(1)
日毎の糧
神の栄光を現したエルサレム、諸々の州の女王のように大いなるエルサレム、人で満ちていたエルサレムは、今やどうなったでしょうか。BC587年、バビロンはエルサレムを凄絶なまでに滅ぼしました。町や家々は燃え、崩れ落ちました。町はやもめのようになり、人々は強制労働者となり、散り散りになり荒れ果ててしまいました。神殿の宝はみな奪われ、祭司、女子供も無残なまでに殺されました。シオンの栄光はすべて消え、汚らわしいものとなりました。このエルサレムを見てエレミヤは「ああ、」と嘆息しています。これは原語で「エカ」と言い、「どうして」という意味だそうです。これは深い悲しみを吐露した嘆きでもあります。それは、ある家で若い夫が亡くなり、嗚咽するやもめの悲しみのようでもあります。聖なる民、栄光のシオン、あれほど華麗だったエルサレムがどうしてこうなったのでしょうか。こらえきれない悲しみに、エレミヤはひとり寂しく座って、涙が眼から水のように流れ落ちました。「どうしてこんなことになったのか。いったい、どうして」。
「どうして…」しか言葉が出てこないような悲しみを経験したことがあるでしょうか。「主よ、どうしてこんな苦しみをお許しになったのでしょうか。」失った苦しみ、絶望の苦しみ、どうしようもない悲しみに直面した時、どうすべきでしょうか。苦しみを無条件に避けるのではなく、主の御前に出て行き、苦しみの意味を見つけ出すことが大切です。正義を行われる主が、罪に罪を重ねたイスラエルと主の命令に逆らった者をさばかれるのをエレミヤは発見しました。苦しみがすべて罪のせいだとは言えませんが、主の御前で打ち明ければ、私たちの悲しみを担ってくださる主が、悲しみも苦しみも慰めてくださいます。
祈り:父なる神さま、こらえることのできない悲しみがあったとき、ただ嘆いてばかりいないで、あなたの御前に出て祈るべきことを学びます。義なる神さまを信じて、ありのまま祈ります。
一言:主よ、ご覧ください
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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