□1月17日(金)
ほめたたえよ。セムの神、主を
創世記9:18-29(26)
聖書本文
9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェテであった。ハムはカナンの父である。
9:19 この三人がノアの息子たちで、彼らから全世界の民が分かれ出た。
9:20 さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。
9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。
9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
9:23 それで、セムとヤフェテは上着を取って、自分たち二人の肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔を背け、父の裸は見なかった。
9:24 ノアは酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知った。
9:25 彼は言った。
「カナンはのろわれよ。
兄たちの、しもべのしもべとなるように。」
9:26 また言った。
「ほむべきかな、セムの神、【主】。
カナンは彼らのしもべとなるように。
9:27 神がヤフェテを広げ、
彼がセムの天幕に住むようになれ。
カナンは彼らのしもべとなるように。」
9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
9:29 ノアの全生涯は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
洪水の後、ノアはぶどう畑を作って農業を始めました。ある日、彼はぶどう酒で酔って天幕の中で裸になりました。彼のこの姿は、神様の警告を受け、恐れ敬う心で箱舟を造ったノアのあるべき姿ではなく、過ちでした。このノアの姿をカナンの父ハムが見ました。ここで「見た」というのは「非難の目でしっかり見た」という意味です。つまり、父を軽蔑し、その権威を軽んじたということです。彼は、わざわざ外にいるふたりの兄弟に告げに行きました。セムとヤフェテは上着を自分たちの肩に掛け、父の裸を見ないようにうしろ向きに歩いて行き、父の裸を覆いました。ノアが酔いからさめ、末の息子の所業を知ると、「カナンはのろわれよ。兄たちの、しもべのしもべとなるように。」と彼の罪に対する神さまのさばきを伝えました。これは、モーセの時代になって、カナンの地に住むカナン族が犯した罪に対して神様が裁されることを示しています。
一方、セムは普段から神様を恐れ敬い、神様が立てられた父であるノアの権威を尊重しました。それで父の過ちを覆うことが出来たのです。ノアは「セムの神、主をほめたたえよ」とセムを祝福しました。特にノアがセムの神様をほめたたえる理由は、神様がセムに父を恐れ敬う心を持って仕える恵みを与えてくださったからでしだ。ヤフェテもセムの天幕に住みながら、神様の祝福を受けるようになりました。
祈り: 互いに尊重し合う時、隣人の罪を覆うことができることを学びます。神様が全てのものを創り、置かれたことを感謝し、今日も一つ一つのことに忠実であるように助けてください。
一言: 神様を恐れ敬う心をもって、神様のしもべをも恐れ敬う人
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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