□1月29日(水)
私の神、主よ
列王記第一17:1-24(20)
日毎の糧
アハブ王を訪れたエリヤは、ここ数年の間は露も雨も降らないと告げ、そのために身の危険にさらされることとなりました。神様はエリヤに、ケリテ川のほとりに身を隠すよう仰せられました。主のことばに従ったエリヤを、主は烏を用いて養いました。川の水が涸れると、今度はシドンのツァレファテに行くように仰せられました。主がそこの一人のやもめに命じて、エリヤを養うようにしていることを語られました。しかし、そのやもめは食べるものもなく、一握りの粉と、ほんの少しの油があるだけで、それを調理し、食べて、死のうとしていたのです。そんな彼女にエリヤは、神様の言葉を伝え、調理してまず自分のところにも持ってくるように話しました。彼女はそのとおりにしました。厳しい飢饉の中にあっても御言葉に従った時、エリヤとやもめは、神様が確かに養ってくださることを体験しました。ところが、このやもめの息子が病気になり、息を引き取りました。彼女は嘆き、エリヤを悪者扱いしまいました。この時、エリヤは亡くなった息子のために、主に祈りました。彼は、「イスラエルの神」ではなく、「私の神」と呼びかけ、祈りました。「私の神」とエリヤが言えたのは、飢饉の中で自分自身の神と出会うことができていたからです。祈りに応えて下さる神様を信じていたので、エリヤは死に挑めたのです。すると、やもめの死んだ息子が生き返る奇跡が起こりました。一部始終を見ていたやもめは、エリヤが神の人であり、エリヤの口にある主のことばが真実であることを知り、告白しました。
神様の御言葉に従った時、エリヤは「私の神様」に出会いました。「私の神様」を信じ、死に挑んだ時、彼は死んだやもめの息子を生き返らせることができました。主のみことばに従うなら、「私の神様」に出会い、死と等しい絶望の中にあっても挑むことができるのです。そして神様の人として認められるのです。
祈り:主よ、私が絶望の中にあっても、私の神様の御言葉に従い、神様が養ってくださること、救い出して下さることを体験できるように祈ります。
一言:私の神、主よ
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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