□2月10日(月)
たとえそうでなくても
ダニエル書 3:1-18(17,18)
日毎の糧
「誰がいのちの主権者なのか」について、二つの価値観がぶつかります。一つ目は、王の手にかかっているという考えです。「どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか(15)」。周囲のすべての国を征服したネブカドネツァル王は、ダニエルの友人たちに、自分が造った金の像を拝まないなら、ただちに火の燃える炉の中に投げ込むと脅かしました。王の手にその三人の友人たちのいのちがかかっているかのように見えます。ドラの平野に召集されたすべての高官たちはそう思っていたので、金の像を拝みました。このように王がいのちの主権者であると思うなら、主である神様を信じる信仰を保つことが難しくなります。一生、人を恐れ、人の目を気にしながら生きるしかありません。
二つ目の考えは、主の手にかかっているという考えです。ドラの平野に召集された人々の中で、三人の友人たちだけはそのように考えました。「私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。(17)」三人の友人たちは神様を信じ、最後まで金の像を拝みませんでした。彼らは主である神様を信じる信仰を選び、守りました。彼らが金の像を拝まなかったのは、神様が救ってくださると信じたからですが、たとえそうでなくても、偶像の神々を拝まないことが主の御前で正しいことだと考えたからでした。彼らは結果に拘らず、自分の信仰に基づいた考えに従って、義と真理に従って生きました。
神様は、私たちの期待や願う通りになさらないこともあります。自分が良いと思うことが、主がご覧になるとき、そうではないこともあります。しかし、状況によって揺らぐのではなく、神様の御旨とご計画を信じる人こそ、まことの信仰の人です。
祈り:いのちの主権者であられる神様を信じます。どんな状況においても信仰を保つことができるように助けてください。
一言:たとえそうでなくても
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
「日ごとの糧に関するご意見・ご要望、メール配信希望・配信停止については、以下のリンク先よりお問い合わせください。
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