□6月7日(土)
姦淫の報酬を愛したイスラエル
ホセア書9:1-17(1)
聖書本文
9:1 イスラエルよ、喜ぶな。
諸国の民のように楽しむな。
あなたは自分の神に背いて姦淫したからだ。
あなたはすべての麦打ち場で
姦淫の報酬を愛した。
9:2 打ち場も踏み場も彼らを養わない。
新しいぶどう酒も彼らを裏切る。
9:3 彼らは【主】の地に住むことはない。
エフライムはエジプトに帰り、
また、アッシリアで汚れた物を食べる。
9:4 彼らは【主】にぶどう酒を注がず、
自分たちのいけにえで主を喜ばせない。
彼らのパンは喪中のパンのようで、
これを食べる者はみな身を汚す。
彼らのパンは自分のためだけ。
【主】の宮に持ち込むことはできない。
9:5 例祭の日、【主】の祭りの日に、
あなたがたは何をするのか。
9:6 見よ。彼らが破壊を逃れても、
エジプトが彼らを集め、メンフィスが彼らを葬る。
彼らが慕う銀には、いらくさが、
彼らの天幕には、あざみがはびこる。
9:7 刑罰の日が来た。報復の日が来た。
イスラエルに知らせよ。
預言者は愚か者、霊の人は気のふれた者だ。
これは、あなたの大きな不義のゆえ、
激しい敵意のゆえである。
9:8 エフライムの見張りは、私の神とともにいる。
しかし預言者には、すべての道に罠が仕掛けられ、
彼の神の家には憎しみがある。
9:9 彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。
主は彼らの咎を心に留め、その罪を罰する。
9:10 「わたしはイスラエルを、
荒野のぶどうのように見出し、
あなたがたの先祖を、
いちじくの木の初なりの実のように見ていた。
バアル・ペオルにやって来たとき、
彼らは恥ずべきものに身を委ね、
自分たちが愛しているものと同じように、
彼ら自身も忌まわしいものとなった。
9:11 エフライム。その栄光は鳥のように飛び去り、
産むことも、身ごもることも、宿すこともない。
9:12 たとえ彼らが子どもを育てても、
わたしは彼らに子を失わせ、
人がいなくなるようにする。
わたしが彼らを離れるとき、
まことに、彼らにわざわいが来る。
9:13 エフライムは、わたしが見たところ、
牧場に植えられたツロのようであった。
しかし今や、エフライムはその子らを
屠り場に連れ出さなければならない。」
9:14 【主】よ、彼らに与えてください。
あなたは何をお与えになりますか。
彼らに与えてください。死産の胎を、
涸れた乳房を。
9:15 「彼らのすべての悪はギルガルにある。
わたしはそこで彼らを憎んだのだ。
彼らの悪い行いのゆえに、
わたしは彼らをわたしの宮から追い出し、
もはや彼らを愛さない。
その首長たちはみな頑迷な者だ。
9:16 エフライムは打たれ、
その根は枯れて、
実も結ばない。
たとえ子を産んでも、
わたしはその胎の実である、いとし子を殺す。」
9:17 私の神は彼らを退ける。
彼らが神に聞き従わなかったからだ。
彼らは国々の間で、さすらい人となる。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
イスラエルは豊かな収穫を喜びました。しかし、神様は「イスラエルよ、喜ぶな。諸国の民のように楽しむな。」と言われます。なぜなら、彼らは姦淫をして、神様から離れ、すべての麦打ち場で姦淫の報酬を愛したからです(1)。つまり彼らは、豊かな収穫は偶像に仕えた結果だと考えたのです。当時、麦打ち場は風通しのよい高台に設けられていました。ところが高台には、偶像崇拝のための祭壇もありました。イスラエル人は、救いは主にあるが、収穫の実はバアルとアシュタロテが与えてくれる、という混合主義信仰を持つようになりました。彼らは純粋な信仰を捨て、現実の利益だけを求めて偶像崇拝をしたのです。このような姦淫の報酬で得た収穫を、主は喜ばれるでしょうか。彼らが偶像崇拝をして得た穀物やぶどう酒は、彼らを養いません。彼らは主の地にとどまらず、エジプトに帰り、アッシリアで汚れた物を食べるようになります。彼らは主に礼拝を捧げることもできなくなります。例祭の日、主の祭りの日に彼らには何が来ますか。彼らには刑罰の日、報復の日が来ます。
イスラエルはなぜこのようになってしまったのでしょうか。それは、預言者は愚か者であり、霊の人は気のふれた者だと思ったからです。イスラエルは、本来、真理の見張りであるべきでした。しかし、偽預言者の影響によってギブア時代のように、心底まで堕落してしまいました。神様は、繰り返しご自分の預言者たちを送ってご自分に戻るよう呼びかけましたが、彼らはそれを拒否しました。主はそんな彼らの咎を覚え、彼らの罪を罰します。私たちは困難があっても主の愛を信じて主に頼り、祈らなければなりません。私たちは、物質主義の時代の中でも、福音信仰、十字架による救い、主にのみ仕える信仰を持たなければなりません。それこそが生きる道です。
祈り:神様から離れるようにと誘惑するものが多い時代ですが、私が神様を一番愛するように、私の心と信仰を守ってください。
一言:私は何を一番愛しているだろうか
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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