□6月14日(土)
悔い改めて離れることをせず
ヨハネの黙示録9:1-21(20)
聖書本文
9:1 第五の御使いがラッパを吹いた。すると私は、一つの星が天から地に落ちるのを見た。その星には、底知れぬ所に通じる穴の鍵が与えられた。
9:2 それが底知れぬ所に通じる穴を開くと、穴から大きなかまどの煙のような煙が立ち上り、太陽と空はこの穴の煙のために暗くなった。
9:3 その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには、地のサソリが持っているような力が与えられた。
9:4 そして彼らは、地の草やどんな青草、どんな木にも害を加えてはならないが、額に神の印を持たない人たちには加えてよい、と言い渡された。
9:5 その人たちを殺すことは許されなかったが、五か月間苦しめることは許された。彼らの苦痛は、サソリが人を刺したときの苦痛のようだった。
9:6 その期間、人々は死を探し求めるが、決して見出すことはない。死ぬことを切に願うが、死は彼らから逃げて行く。
9:7 いなごたちの姿は、出陣の用意が整った馬に似ていた。頭には金の冠のようなものをかぶり、顔は人間の顔のようであった。
9:8 また、女の髪のような毛があり、歯は獅子の歯のようであった。
9:9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その羽の音は、馬に引かれた多くの戦車が戦いに急ぐときの音のようであった。
9:10 彼らはサソリのような尾と針を持っていて、その尾には、五か月間、人々に害を加える力があった。
9:11 いなごたちは、底知れぬ所の使いを王としている。その名はヘブル語でアバドン、ギリシア語でアポリュオンという。
9:12 第一のわざわいは過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。
9:13 第六の御使いがラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から、一つの声が聞こえた。
9:14 その声は、ラッパを持っている第六の御使いに言った。「大河ユーフラテスのほとりにつながれている、四人の御使いを解き放て。」
9:15 すると、その時、その日、その月、その年のために用意されていた、四人の御使いが解き放たれた。人間の三分の一を殺すためであった。
9:16 騎兵の数は二億で、私はその数を耳にした。
9:17 私が幻の中で見た馬と、それに乗っている者たちの様子はこうであった。彼らは、燃えるような赤と紫と硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄が出ていた。
9:18 これら三つの災害、すなわち、彼らの口から出る火と煙と硫黄によって、人間の三分の一が殺された。
9:19 馬の力は口と尾にあって、その尾は蛇に似て頭を持ち、その頭で害を加えるのである。
9:20 これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを、拝み続けた。
9:21 また彼らは、自分たちが行っている殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
第五のラッパ、第六のラッパは、戦争、災害です。1-5節はすべてが神様の制御下にあることを示します。巨大な群れをなして必要以上に食べつくすいなご(ゲルマン人として見ることもある)は、アポリュオン(「破壊」という意味)の兵士たちです。彼らは不信者(敵対者)を死の苦しみに追い込みました。その苦しみが大きすぎて、人々はむしろ死にたいと思うのですが、死ぬこともできません。東方から来た二億の騎兵隊(イスラムとして見ることもある)は、火と煙と硫黄とで人類の三分の一を殺します。これらの災害を下す目的は何ですか。「これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った者から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを拝み続け…殺人、魔術、淫らな行いや盗みを悔い改めなかった。」(20,21)とあります。神様は、敵対する者たちを打ちながらも、彼らが悔い改めて帰って来るのを願っておられます。さばきで終わらせようとするなら、一度で済ますこともできます。しかし、そうはせずに災害を順番に送るのは、あわれみの御手が裁きと一緒にあるからです。人は敵が完全に滅びることを望みますが、神様は敵さえも救うことを望んでおられます。それ故に、後にローマが福音化されました。神様はすべての人の羊飼いであられます。
しかし、彼らは苦しみと災害を経験しても悔い改めません。なぜでしょうか。それは、自分が世の主人だと思っているからです。崩れていくのにも関わらず「私は強い」という考えに固守する高慢さがあるからです。人の心は、一度高ぶるとなかなか低くなれません。悔い改めることが出来ず、高慢なまま滅びてしまいます。それゆえ、神様が恵みを一方的に注いでくださらなければ、だれひとりとして救われる者はいないのです。イエス・キリストを受け入れ、キリストに自分を委ねるなら、悔い改めと謙遜の実が結ばれます。
祈り:主のさばきには、あわれみの御手も一緒にあることを学びます。どうか悔い改めと謙遜の実を結ぶことが出来るように私を助けて下さい。
一言:さばきの主は、あわれみの主
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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