□11月1日(土)
主が証人となる
ミカ書1:1-16(2)
聖書本文
1:1 モレシェテ人ミカにあった【主】のことば。これは、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、彼がサマリアとエルサレムについて見た幻である。
1:2 すべての民族よ、聞け。
地とそこに満ちているものたちよ、耳を傾けよ。
【神】である主は、あなたがたのうちで証人となり、
主はその聖なる宮から来て証人となられる。
1:3 見よ。【主】は御住まいを出、
降りて来て、地の高い所を踏まれる。
1:4 山々は主の足もとに溶け去り、
もろもろの谷は裂ける。
まるで、火の前の、ろうのように。
坂に注がれた水のように。
1:5 これはみな、ヤコブの背きのゆえ、
イスラエルの家の罪のゆえだ。
「ヤコブの背きとは何か。
サマリアではないか。
ユダの高き所とは何か。
エルサレムではないか。
1:6 わたしはサマリアを野にある瓦礫の山とし、
ぶどうを植える畑とする。
その石を谷間に投げ込んで、
その基を暴く。
1:7 その刻んだ像はすべて打ち砕かれ、
儲けはみな火で焼かれる。
わたしはその偶像をすべて荒れすたらせる。
それらは遊女の儲けで集められたのだから、
遊女の儲けに戻る。」
1:8 このゆえに、私は嘆き、泣き叫び、
裸足で、裸で歩く。
私はジャッカルのように嘆き、
だちょうのように悲しみ泣く。
1:9 まことに、その打ち傷は癒やしがたい。
それはユダにまで及び、
私の民の門、エルサレムにまで達する。
1:10 「ガテで告げるな。
決して泣いてはならない。
ベテ・レ・アフラでちりの中を転げ回れ。
1:11 シャフィルに住む者よ、
裸になって恥じながら通り過ぎよ。
ツァアナンに住む者は出て来ない。
ベテ・エツェルの嘆きは、
あなたがたから、立つところを奪い取る。
1:12 まことに、マロテに住む者は、
病むほどに幸せを待ち望む。
エルサレムの門に、【主】からわざわいが下ったのだ。
1:13 ラキシュに住む者よ、戦車に早馬をつなげ。
そこは娘シオンにとって罪の始まり。
実に、イスラエルの背きが、
あなたのうちに見出されたのだ。
1:14 それゆえ、あなたは
別れの贈り物をモレシェテ・ガテに与える。
アクジブの家々は、
イスラエルの王たちにとって欺く者となる。
1:15 マレシャに住む者よ、
わたしは再び、侵略者をあなたのところに送る。
イスラエルの栄光はアドラムまで行く。
1:16 頭を剃れ。あなたが喜びとする子らのために、
その剃ったところを、禿鷲のように大きくせよ。
彼らは捕らえられて、去って行くからだ。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
本文は、預言者ミカに臨んだサマリアとエルサレムに対する神様のさばきの御言葉です。神様は御住まいを出て、地の高い所を踏まれます。山々は主の足元に溶け去り、もろもろの谷は裂けます。それはまるで火の前のろうのようです。彼らが積んで来た全ての物が、一瞬のうちに板に注がれる水のように消えてしまうのです。なぜこのような恐ろしいさばきが臨むのでしょうか。5節を見ると、「これはみな、ヤコブの背きのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえだ。」とあります。神様に選ばれた民として、イスラエルは自分たちの信仰を堅く守って生きるべきでした。しかし、異邦の文化に染まり、純粋な信仰を失い、偶像崇拝を行ない、それによって儲けました。それで神様は、偶像を全て破壊し、彼らが懸命に集めた物を全て燃やされます。イスラエルの首都として栄えていたサマリアは、野にある瓦礫の山となります。
ミカは神様のこのようなさばきのメッセージを聞いて、ひどく悲しみました。彼は嘆き、泣き叫び、裸足で、裸で歩きました。サマリアの打ち傷は深すぎて癒しがたく、その罪はユダにまで及び、エルサレムにまで達していて、到底神様のさばきから逃れることができないことを知っていたからです。
神様はエルサレムの罪がイスラエルによるものであると言われ、その責任を取り除かれませんでした。ユダの町々には災いが下ります。神様は人の行ないだけを見るのではなく、心の奥底までをご覧になる方です。神様が証人となり証言されると、人のあらゆる罪と過ちが明らかになります。そして、罪には必ずさばきがあります。ですから、私たちは恐れおののき、自分の罪を悔い改めて、謙遜に生きるべきです。
祈り:罪がある所に神様のさばきがあることを学びます。証人となられる神様の前で自分の罪を嘆き悲しみ、悔い改めることができるように、純粋な信仰をもって主に従うように助けてください。
一言:主が証人となる
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
「日ごとの糧に関するご意見・ご要望、メール配信希望・配信停止については、以下のリンク先よりお問い合わせください。
(お問い合わせページのリンク先)」

