□12月24日(水)
救いの角を私たちのために
ルカの福音書1:67-80(69) 聖誕特集
聖書本文
1:67 さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。
1:68 「ほむべきかな、イスラエルの神、主。
主はその御民を顧みて、贖いをなし、
1:69 救いの角を私たちのために、
しもべダビデの家に立てられた。
1:70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して
語られたとおりに。
1:71 この救いは、私たちの敵からの、
私たちを憎むすべての者の手からの救いである。
1:72 主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、
ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
1:73 私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
1:74 主は私たちを敵の手から救い出し、
恐れなく主に仕えるようにしてくださる。
1:75 私たちのすべての日々において、
主の御前で、敬虔に、 正しく。
1:76 幼子よ、あなたこそ
いと高き方の預言者と呼ばれる。
主の御前を先立って行き、その道を備え、
1:77 罪の赦しによる救いについて、
神の民に、知識を与えるからである。
1:78 これは私たちの神の深いあわれみによる。
そのあわれみにより、
曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、
1:79 暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、
私たちの足を平和の道に導く。」
1:80 幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現れる日まで荒野にいた。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
ザカリヤがヨハネと名付けた時、彼の口は開け、舌も解け、物が言えるようになりました。そして次いで出てきたのは、神様を賛美する言葉でした。ヨハネが生まれるまでの間、何も口にできない長い沈黙の期間がありました。しかし、時になると彼の口からは神様を賛美する内容で溢れていました。そこには、民を顧みて、贖いをなしてくださる主を賛美しています。「顧みる」とは、訪ねて来られ、面倒を見てくださるという意味です。まるで泣いている子供の所へ親が来て面倒を見るのと同じです。また、「贖う」とは、代価を払って罪人や奴隷の身分からその人を自由にするという意味です。ザカリヤが賛美した神様は、顧みる方であり、贖い主だとあかしします。
それだけではありません。彼は「救いの角」だとも賛美します。角とは古代から力の象徴です。ダビデの家に立てられた角はどんな力でしょうか。それは敵からの救いであり、神様との契約の中で約束された救いです。その救いがあるからこそ、人は主の御前で、敬虔に、正しくいることができます。その救いの希望は、曙の光のように訪れます。クリスマスは単なる平和のイベントではありません。神様が契約通りに、力を持って罪からの救いを実行してくださる出来事です。神様のあわれみと力と、誠実と恵みを迎える準備は、できていますでしょうか。主はあなたのために力強く角のように働いておられます。クリスマスを迎える中で、あなたはこの主の力強さを賛美しているでしょうか。
祈り:クリスマスは幼子イエス様のお誕生日ですが、それには神様の救いの角のような力強さと誠実さがあることを振り返ります。私たちにそのような救いの力が及んでいることを心から感謝します。
一言:救いの角イエス様
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
「日ごとの糧に関するご意見・ご要望、メール配信希望・配信停止については、以下のリンク先よりお問い合わせください。
(お問い合わせページのリンク先)」

