□3月31日(火)
目を覚まして
マルコの福音書14:27-42(34) 受難週
聖書本文
14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。
『わたしは羊飼いを打つ。
すると、羊は散らされる』
と書いてあるからです。
14:28 しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
14:29 すると、ペテロがイエスに言った。「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」
14:30 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
14:31 ペテロは力を込めて言い張った。「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」皆も同じように言った。
14:32 さて、彼らはゲツセマネという場所に来た。イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい。」
14:33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれた。イエスは深く悩み、もだえ始め、
14:34 彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、目を覚ましていなさい。」
14:35 それからイエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、できることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られた。
14:36 そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」
14:37 イエスは戻り、彼らが眠っているのを見て、ペテロに言われた。「シモン、眠っているのですか。一時間でも、目を覚ましていられなかったのですか。
14:38 誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」
14:39 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。
14:40 そして再び戻って来てご覧になると、弟子たちは眠っていた。まぶたがとても重くなっていたのである。彼らは、イエスに何と言ってよいか、分からなかった。
14:41 イエスは三度目に戻って来ると、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
14:42 立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
過越の食事が終わると、イエス様たちはゲツセマネの園で祈られました。その際にイエス様は弟子たちがつまずくことを警告されましたが、弟子たちはそんなことはないと息巻いて反対しました。この時、イエス様は悲しみのあまり死ぬほどのお気持ちでいながらも、弟子たちに目を覚ましているようにと声をかけ、つまずかないように配慮しておられました。イエス様は何に悲しまれていたのでしょう。十字架の苦しみに対するストレスでしょうか。つまずいてゆく弟子たちに対してでしょうか。そこには罪の深さを知っておられるイエス様がおられました。イエス様は人となられ、人々のすぐそばにいますが、罪は神様との断絶を意味します。神様は罪を受け入れません。罪を抱えたままの人がどこまで行っても神様につながらないその深刻さをご覧になっていたのではないでしょうか。
イエス様は祈りの中で、「この杯をわたしから取り去ってください」と言います。これは過越の契約の血の杯とは違います。イエス様が十字架にかかることは、罪人として神様と完全に断絶した状態になることであり、それを苦しみの杯としています。このあまりの苦しみにイエス様は何度も祈りをささげられました。イエス様が取り去ってほしいとまで言われたほどでした。私たちは罪がどれほど深刻なものであるかを知っているでしょうか。イエス様は苦しまれるほど、悶えるほど戦っておられました。それなのに私たちはどうでしょうか。弟子たちのように眠気に襲われて、罪の感覚もなく貪り、眠りについて罪に対して目を瞑っていないでしょうか。イエス様が苦しみと悲しみの中で祈られたこと、それは私たちが味わうべきものであったということを、どうか受難週に覚えていきましょう。
祈り:イエス様がこれほど苦しまれて祈っておられるのに、私はそのことを忘れて、罪に対する感覚を鈍らせて怠惰なものであったことを告白します。あなたの苦しみと悲しみに寄り添うことができるようにお助けください。
一言:目を覚ましていなさい
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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