□6月23日(火)
一番優れているのは愛です
コリント人への手紙第一13:1-13(13)
聖書本文
13:1 たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。
13:2 たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。
13:3 たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、
13:6 不正を喜ばずに、真理を喜びます。
13:7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
13:9 私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
13:10 完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。
13:11 私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。
13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
13:13 こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
パウロはコリントの教会にある問題を見抜いていました。それぞれの賜物で人の上下を決めている教会には、キリストの愛がありませんでした。イエス様はわたしが愛したように互いに愛し合いなさいと弟子たちに新しい戒めをくださいました。しかし、その新しい戒めは実践されていなかったのです。パウロは彼らを責めるよりも、愛について教えます。どんな賜物も、どんな知識も、たとえ山を動かすほどの信仰があったとしても、愛がないなら、無に等しいと言います。持ち物やからだを誇っても愛がなければ、何の役にも立たないとまで言い切ります。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。愛は決して絶えることがありません。
愛はどうして一番すぐれているのでしょうか。それは廃れないからです。愛はいつまでも残ります。キリストが教える愛は、他の人たちへの無私の奉仕を含んでいます。私の感情以上に、愛は神のご性質そのものの現れです。パウロは自分自身を鏡にぼんやり映るものと表現します。やがては完全な姿ではっきりと知るのですが、なぜぼんやりと映るのでしょうか。それは愛が働いていないから、鏡に映った姿に神様の形が作られていないからではないでしょうか。あなたは聖書という自分を写す鏡に何を見ますか。あなたは鏡にどのような形で映っているでしょうか。愛が一番すぐれているのはあなたの姿を神の形、完全な姿として造り変えてゆくからなのです。
祈り:主よ、私の信仰が知識や賜物を喜ぶことだけにとどまりませんように。キリストの愛に生かされ、愛を実践する者とならせてください。
一言:愛がなければ
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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