□8月16日(主日)
すべてを焼いてささげる
レビ記1:1-17(9)
日毎の糧
レビ記は、シナイ山のふもとで幕屋が完成した直後(出エジプト記40章)から始まります。神様が幕屋に住まわれ、民に「礼拝の仕方」を教えようとされる場面です。神様は礼拝において、特に「いけにえ」を強調されました。旧約の時代、人々が神様の赦しをいただく唯一の方法がいけにえをささげることだったからです。
罪は人間を聖なる神様から切り離し、本来、罪を犯した者は死に値します。では、罪ある人間がどのようにして神様の御前に出、赦しを得ることができるのか。その具体的な方法がここに記されています。「肉のいのちは血の中にある(レビ17:11)」、「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません(ヘブル9:22)」とあるように、罪の身代わりとなる「血」による贖いが必要だったのです。
モーセは、主にささげ物を献げる際の手順(主からの御教え)を民に告げました。「全焼のささげ物」とは、その名の通り、すべてを祭壇の上で焼いて主に献げるものです。牛を献げる場合は、傷のない雄を選ばなければなりません。ささげる者は、自分が主に受け入れられるよう、自ら牛を連れて行き、その頭に手を置きます。これによって、いけにえがその人の身代わり(宥め)となり、彼は受け入れられるのです(4)。
ささげる者が主の前で牛を屠ると、祭司はその血を携え、会見の天幕の入口にある祭壇の側面に振りかけます。そして、ささげ物のすべてを祭壇の上で焼いて煙にし、主にささげます。羊や山羊の場合も同様です。また、経済的に貧しい人は鳩を献げることが認められていました。鳩であっても、牛や羊と同じく「主に捧げられる香ばしい香り」となります。どんな境遇にあっても、神様にささげることが可能なのです。
「全焼のささげ物」は、自分自身を完全にささげることを象徴しています。すべてを焼き尽くすように、自分自身の生涯を余すところなく、ことごとく主にゆだねる姿勢です。主への献身と犠牲は、他者と比較されるものではありません。それぞれが置かれた立場で、最善のものをささげればよいのです。
祈り: 最後にして完全ないけにえとなり、十字架で死なれたイエス様、あなたによって神様との正しい関係に入れられた恵みを感謝します。
一言:一部ではなく、すべてを主に!
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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