□10月13日(火)
いのちとして宥めを行う血
レビ記17:1-16(11)
聖書本文
17:1 【主】はモーセにこう告げられた。
17:2 「アロンとその子ら、またすべてのイスラエルの子らに告げよ。
【主】が命じられたことは次のとおりである。
17:3 イスラエルの家の者のだれかが、牛か子羊かやぎを宿営の中で屠るか、あるいは宿営の外で屠るかして、
17:4 【主】の幕屋の前で【主】へのささげ物として献げようと、会見の天幕の入り口に持って来ることがなかったなら、血の責任はその人に帰せられる。彼は血を流した。その人は自分の民の間から断ち切られる。
17:5 これは、イスラエルの子らが、野外で屠っていたいけにえを持って来るようにするためであり、【主】のところに、会見の天幕の入り口の祭司のところに持って来て、それらを交わりのいけにえとして【主】に献げるためである。
17:6 また、祭司がその血を会見の天幕の入り口にある【主】の祭壇に振りかけ、その脂肪を【主】への芳ばしい香りとして焼いて煙にするためであり、
17:7 また、彼らが慕って淫行をしていた雄やぎの偶像に、もういけにえを献げなくするためである。これは彼らにとって代々守るべき永遠の掟となる。
17:8 また、彼らに言え。
だれでも、イスラエルの家の者、あるいは彼らの間に寄留している者が、全焼のささげ物か、いけにえを献げるとき、
17:9 それを【主】に献げようと会見の天幕の入り口に持って来ないなら、そのような者は自分の民から断ち切られる。
17:10 イスラエルの家の者、あるいは彼らの間に寄留している者のだれであっても、どんな血でも食べるなら、わたしはその血を食べた者に敵対してわたしの顔を向け、その人をその民の間から断ち切る。
17:11 実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。
17:12 それゆえ、わたしはイスラエルの子らに言う。あなたがたはだれも血を食べてはならない。あなたがたの間に寄留している者も血を食べてはならない。
17:13 イスラエルの子らや彼らの間に寄留している者のだれでも、食べることができる獣や鳥を狩りで捕らえた人は、その血を注ぎ出し、土でおおう。
17:14 すべての肉のいのちは、その血がいのちそのものである。それゆえ、わたしはイスラエルの子らに言ったのである。『あなたがたは、いかなる肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのちは、その血そのものであるからだ。それを食べる者はだれでも断ち切られる』と。
17:15 だれでも、死んだ動物や野獣にかみ裂かれたものを食べるなら、この国に生まれた者であれ寄留者であれ、自分の衣服を洗い、水を浴びなければならない。その人は夕方まで汚れる。それから彼はきよくなる。
17:16 もし自分の衣服を洗わず、身に水を浴びないなら、その人は自分の咎を負う。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会 許諾番号 4-1009-2
日毎の糧
獣をほふり、神様にいけにえを献げることにも神様の掟がありました。幕屋の区域外でいけにえをささげる事を禁じていました。いけにえにも神様の掟があるのは、一つには民が勝手なことをしないためです。自分勝手ないけにえが進むと自分勝手に神様を礼拝するようになります。そうした自分都合ではなく、あくまで神様都合に合わせること、神様に創造された人間は創造主である神様を礼拝する立場であることを明確にされたのです。
もう一つは、獣をほふり、その血を流していけにえを献げることは罪の赦しのためです。人の罪を赦すのは神様の領域です。神様がなされることに対して人は神様からの掟を守る必要があります。反対に掟を守らないものについては、民から断ち切られると警告しました。そして血を食べないように禁じられました。それはすべての肉のいのちは、その血がいのちそのものであるからだと説明があります。異教の教えでは血を飲食していました。イスラエルがそれを真似てはいけないのは、彼らはそれに交わるのではなく区別されている必要があったからです。また、いけにえの血を流すことは自分の罪の代わりに代価としてささげられる意味がありました。血を飲むことに意味はなく、私の代わりに血が流された、私の罪の赦しには代わりに血を流す存在が必要であったと教えています。
イエス様が十字架で血を流されたのは何のためでしょうか。私の代わりに血を流されたのです。私の罪の赦しには誰かの血が必要でした。あなたに代わってのその存在がイエス様にあることを聖書は教えているのです。
祈り:私の罪が赦されることも、神様の掟があり、唯一私の罪の赦しのために血を流された方として、イエス様がおられることを正しく受け止め、私の罪がきよめられるように祈ります。
一言:私の代わりに流された血
【日ごとの糧】(daily bread)とは
【日ごとの糧】は個人的に、毎日欠かさず聖書を黙想し、生活と一体化するよう助ける案内書です。今日の御言葉を毎日黙想するためのQT教材です。
三ヶ月ごとに定期的に出版し、4年間で聖書全巻を学ぶことができるように編集されています。
教会の早朝祈り会、家庭礼拝、その他の集まりで今日の御言葉として活用されています。
特に、このような集まりで受けた御言葉の恵みを書いてお互いに発表すれば、聖徒の交わりと信仰の成長に大きな助けとなります。
弊宣教会は1968から【日ごとの糧】を出版しており、現在も複数のスタッフ(幹事、牧師)によって執筆され、3ヶ月ごとに定期的に出版しております。日本UBFの日ごとの糧は、英語・韓国語の日ごとの糧を元に翻訳・編集されたものです。
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